あいち トリエンナーレ 再開。 ReFreedom_Aichi --あいトリ2019を「表現の自由」のシンボルへ

あいちトリエンナーレの表現の不自由展を再開希望。公費投入は無しで

あいち トリエンナーレ 再開

10月8日、「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」再開の日。 くじ運に特に強いとも思えぬ私だが、2回目の入場者30人を選ぶ抽選に当たるという幸運に見舞われた。 報道で1300人以上が並んだと言われている高倍率の抽選だった。 「表現の不自由展・その後」の会場の状況はある程度知っているつもりだったが、やはり百聞は一見にしかず。 実際に入って気がついたことはたくさんあった。 大浦信行さんの動画上映の後、何と拍手が起きた その入場組の目玉は、大浦信行さんの天皇をモチーフにした20分の動画「遠近を抱えてPart2」だった。 同日第1回目の14時10分の組ではなぜかその動画を上映しなかったようで、16時20分に入場した私を含む30人が、8月の中止以後、初めてそれを現場で見る機会を得たのだった。 「表現の不自由展・その後」会場に入って各自自由に展示を見た後、残り20分でその動画をモニターに映し出すということで、30人が椅子や座布団に座って鑑賞した。 8月3日まで上映されたものよりも大きなモニターで画像はきれいだった。 私は、大浦さんの自宅で8月に見て、9月の検証委員会の「フォーラム」でも見て、今回は3回目。 そのほかの入場者はたぶん初めてだったと思う。 何となく緊張した空気に包まれる中、上映は進み、そして終了。 その直後、見ていた人たちから拍手が湧き起こった。 これはいささか意外な展開で、私もつられて拍手した。 意外というのは、大浦さんの作品はこれまでのものもなかなか難解で、一回見ただけではよくわからないという感想が多い。 だから上映後に感動して見ていた人が拍手するという光景は初めてだった。 帰京後、夜に大浦さんに電話でそのことを話した後も、ちょっと考えた。 あの拍手をどう受け止めればよいのだろうか、と。 この記事はそのことを考えてみようとして書くことにしたのだが、その前に10月8日、「表現の不自由展・その後」が再開されたという、「あいちトリエンナーレ2019」にとっては大きな意味を持った、その日の1日を振り返って報告しておこう。 一番騒ぎになっていたのはプレスルームだった 10月8日、私は朝早く家を出て名古屋へ向かい、午前11時過ぎにメイン会場の愛知芸術文化センターに着いた。 その前、朝には「表現の自由を守れ」という横断幕を掲げた愛知県民の会の市民たちが入り口前でアピールをしていたらしいが、私が着いた時には終わっていた。 愛知芸術文化センター前で(筆者撮影。 以下も) でもテレビカメラが出入りする人にインタビューしていたのと、「反対」というプラカードを持った2人が目に入った。 「反対」というのが何に反対なのか一瞬わからなかったが、たぶん再開に反対という人たちだったのだろう。 前日まで多くの人が懸念していたかもしれない、会場に再開反対の人たちや右翼の街宣車が押し掛けるという喧噪は全くなかった。 その後、午後になって河村たかし名古屋市長が再開反対派の人たちとやってきたし、一部マスコミはそれを報じていた。 でも、その日の雰囲気全体から言えば、その河村市長の行動は浮き上がっており、パフォーマンスとしか映らなかったようだ。 「表現の不自由展・その後」入場口での厳しいチェック ニュースなどでは「表現の不自由展・その後」に抽選に当たって入場する人たちが荷物を預けたうえに金属探知機で検査を受けたことを映像とともに強調していたが、実はそれは9月21日の検証委員会の「フォーラム」で実施済みのことだった。 主催者側もこの間、展示再開へ向けたいろいろなシミュレーションを一応重ねていたのだろう。 私は午前11時過ぎに10階のトリエンナーレ会場受付にまず上がったのだが、予想外に静かだった。 12階のプレスルームは騒然としていた 受付を済ませてから一応12階のプレスルームに行ってみたが、臨時に設けられたそのプレスルームにはマスコミ各社の記者らがつめかけて、緊迫したムードが漂っていた。 肝心の「表現の不自由展・その後」の会場内取材・撮影が全面禁止であることが伝えられ、その会場入り口も代表取材にするといった条件が示され、取材希望者が手を挙げて意思表示をするなど、やりとりが行われていた。 一番緊張して盛り上がっていたのはマスコミだったという、ちょっと皮肉な光景だった。 抽選で入場者を選ぶのに大変な行列が 一般の客は抽選で30人2組だけが、その日再開する「表現の不自由展・その後」の会場に入れることになっていた。 13時から抽選の受付が行われることが来場者に告げられていたので、私は主な展示をさっと一通り見たうえで、10階の集合場所に行ったのだが、既に相当数の人が集まって行列を作っていたのに驚いた。 13時から抽選のための整理番号が交付されることを知って、その時間に合わせて来た人も多かったようだ。 上の階にも伸びる抽選のための大行列 番号が書かれたリストバンドを受け取るために並んだ行列は、そのフロアを1周したうえで階段をあがって上の階にも伸びていった。 どうやら700人以上が並んだようだ。 マスコミは、2組60人の入場者に対して1300人以上が並んだと報じているが、1300人以上は2回合わせた延べ人数で、実際には私のように1回目はずれて2回目に再び並んだ人が多かったのではないだろうか。 それにしても倍率は相当なものになるが。 抽選発表の瞬間、フロアは騒然とした雰囲気に 14時10分から「表現の不自由展・その後」会場に入る人たちの抽選は13時40分、同じ10階の臨時のモニターに番号が映し出された。 フロアは大勢の人で混雑していた。 私は1番違いではずれ。 次の抽選受付の15時まで、いろいろな展示作品を見て回った。 「展示再開」という赤い文字の表記が印象的 「表現の不自由展・その後」再開に一番大きく貢献したのは、海外作家を含めて「あいちトリエンナーレ2019」の出展作家らが次々と展示をやめたり展示内容を変更して再開を求める抗議の意思表示をしたことだと私は思っている。 そしてその10月8日、展示を見て回って改めて驚いた。 「表現の不自由展・その後」以外の、展示中止や変更をしていた作家らの作品は10月8日の午前から一斉に再開されたのだが、それらの説明文の上には「展示再開」という表示が赤文字でなされていた。 展示を一時中止した時に掲示された抗議声明も貼られたままだったので、入場する人はその展示が一度抗議声明とともに中断され、8日に再び再開したことがわかるようになっていた。 イム・ミヌクさんの「ニュースの終焉」も展示再開 その中には8月6日、最初に抗議して展示を中止した韓国の2人の作家の作品も含まれていた。 イム・ミヌクさんの「ニュースの終焉」と題された展示など思わず息を飲むような見事なもので、これがそのまま展示中止で終わっていたら本当に残念だったと思う。 田中功起さんの展示室内風景 日本人として初めて抗議の意思表示として入り口を半ば閉鎖してお客が入室できないようにしていた田中功起さんの展示室も入ってみると中が広く、動画を含むいろいろな展示がなされていて、改めて驚いた。 9月12日に展示を見て回った時に、展示中止や変更が予想以上に多いことに驚き、これがさらに増えていくと、もう「芸術祭の体をなさない芸術祭」という印象さえ抱いたものだ。 それは言い換えれば、中南米など海外の作家たちが、芸術に対する検閲といったことにいかに敏感であるかを示していた。 その意味でも「あいちトリエンナーレ2019」は、「表現の不自由展・その後」再開によって現状を打開するしかないところに至っていたと思う。 そうしなければ大きな歴史的汚点として世界中に記憶されることになる。 入場者を案内しながら解説する津田大介芸術監督 ちなみにそうやって展示を見歩いている最中、津田大介・芸術監督が入場者に自ら展示の説明をして回っているのに行き当たった。 なかなかうまい解説で感心した。 さて15時から再び抽選の行列に並んでリストバンドをもらった頃には私も歩き回って相当疲れていた。 そして15時40分、当選番号がモニターに映し出されたのを見たら、私の整理番号810が当選になっていて驚いた。 当選者は8階に移動して、まず当選番号を確認したうえで荷物を預けた。 その後、全員揃ったところで「表現の不自由展・その後」会場へ。 入り口で金属探知機で厳重なボディチェックを受けるのだが、その様子をマスコミ各社が撮影していた。 会場内に入ると、顔見知りの実行委員らの多数がおり、岡本由香さんに「よく抽選に当たりましたねえ」と感心された。 ただマスコミ関係者は私だけでなく、元朝日新聞にいて今はテレビのコメンテーターを務めている浜田敬子さんなどもいた。 「表現の不自由展・その後」の問題提起を会場で受け止めた そして20分ほど各自が作品をじっくり見たり、少女像の隣に座ったりした後、一か所に集められて大浦さんの動画を見た、というわけだ。 私も展示作品をじっくり見たが、入ってすぐの入り口近くに展示されていた嶋田美子さんの「焼かれるべき絵」など、いやあすごい作品だと思った。 皇室ファミリーのいつもマスコミに映し出される場所が描かれているのだが、そこに皇族そのものはおらず、ただ影が見えるだけ。 そういう日本人における皇室のイメージを描いて「空気」というタイトルを付けたという、なかなか深い作品だ。 入り口付近は、狭い通路状になっていて、入った人は左にそれらを見ながら、右には大浦さんの「遠近を抱えて」の版画と動画、という配置だ。 つまり入場者が最初にそうした天皇をめぐるタブーのようなテーマにいきなり突き当たるというわけで、これだけを考えても「表現の不自由展・その後」が重たい問題提起をしていることに改めて気づかされる。 そういう天皇をモチーフにした作品を見た後に、その日は大浦さんの動画を入場者全員で見たわけだ。 14時10分に入場した30人はその動画公開がなかったそうだから、8月4日から封印されていたものがその時初めて解かれたということになる。 そうしていささか緊張しながら動画を見終わった直後に拍手が湧き起こった。 その場で入場者や実行委員会メンバー、キュレーターなどをまじえて意見交換が行われたら、拍手の意味もわかったはずだった。 でもその日はそのまま退場だった。 私は動画を見たのは3回目だったが、その拍手は予想外でちょっと驚いた。 でも改めて考えてみたら、その拍手は恐らく、封印されていたものがようやく解かれた、「表現の不自由展・その後」がようやく再開された、ということへの拍手だったのではないかという気がする。 少女像と大浦さんの作品は、攻撃を受けていたシンボルだから、その動画公開が入場者にある種の感慨や感動をもたらしたのではないかと思う。 その日、二度も抽選のために並んだ間に、周囲の人たちと話す機会もあったが(隣の女性にいきなり「『創』の篠田さんですね、愛読してます」と声をかけられたのには驚いた)、一言で言うならば集まったほとんどが「再開を待っていた人たち」だった。 そしてそれぞれの作品について、一定の知識を持っていた。 だから大浦さんの動画についても、作者自身が「天皇批判といった意図は全くない」と語っていることも知っていたし、リテラシーが備わっていたといえる。 よく「天皇が燃やされる動画に多くの人が不快になるはずだ」という人がいるが、リテラシーが働けば、鑑賞者は決してそう単純に反応するわけではない。 「表現の不自由展・その後」は、そもそも過去排除された作品を、排除された経緯とともに展示して考えてもらおうという意図で企画されたものだ。 作品への好き嫌いはいろいろあるだろうが、そういう趣旨を理解するくらいのリテラシーは、多くの人が備えているはずだ。 ぜひ多くの人が「あいちトリエンナーレ2019」に足を運んでほしい その点で言うと、翌朝9日のTBS「グッとラック!」の立川志らくさんの発言は残念だった。 「陛下が燃やされ踏みつけられているのを見てそんなものが表現の自由だとは思わない」、しかも多くの日本人がそう感じるはずだと強調していたのだが、これでは河村市長と同じだ。 河村さんが個人の考えを表明するのは自由だが、行政の長がそれを言ってはまずいでしょというのと同じで、テレビ番組のMCがそれではまずいでしょ、という感じを受けた。 何よりも残念なのは、8月初めに騒動になってからこの2カ月間、作者の大浦さんを始め、多くの人が議論を重ねてきた経緯が踏まえられずに、いきなり2カ月前の「天皇を燃やすとは何事か!」という議論に引き戻されてしまったことだ。 「あいちトリエンナーレ」のシンボルともなったこの展示も 10月8日に再開された展示を見た多くの人が「作品に賛同できるかは別としても展示が再開されたことは良かった」という感想を語っていたが、今回の2カ月にわたる騒動は、「表現の自由」とは何なのか、公共性とはどういうことかなど多くの大事な問題を提起している。 これを機会にそういう問題がきちんと議論されてほしい。 「表現の不自由展・その後」だけでなく、一時抗議のために中止し再開した多くの海外作家などの展示も、多くのことをつきつけているように感じた。 「あいちトリエンナーレ2019」全体が、日本社会に大きな問題提起をし、議論の素材を提供したと思う。 普段特別に考える機会があまりない「表現の自由」とは何なのか。 それは今、この日本社会においてどんな危うい状況にあるのか。 会期末へ向けてぜひ多くの人に会場に足を運び、そういう問題を考え、議論してほしい。 今回の一連の事態からこの社会は何かを学ぶことができるのか。 メディアの果たすべき責任も大きいと思う。

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あいちトリエンナーレ2019、最後の7日間:キュレーターズノート|美術館・アート情報 artscape

あいち トリエンナーレ 再開

日本中を巻き込んだ大激論の中、再開された「表現の不自由展」を見るために、あいちトリエンナーレ行ってまいりました。 この記事は、 ・メディア的な切り取りではない「普通の一般参加者」としての視点からの「現地の雰囲気」が伝わるような写真付きのルポ的なもの と、 ・この問題をどう考えるべきなのか、という話 をしたいと思っています。 目次は以下の感じ。 平日の昼間だし東京じゃないし・・・ってのもあるかもしれません。 たぶんメディアでは大写しになるだろう再開反対のプラカードを持った一群も、人数はそれほど多くなく、演説も結構紳士的な雰囲気で。 コレはよっぽどのくじ運がないと見れそうにないです・・・ 結局午前の部と午後の部両方この長蛇の列にならんだんですが、抽選には両方外れました。 ルポって言っといてハズレたんかーい!!!って思うかもしれないけど、でも「これが普通の参加者の大半の体験」ですよ・・・という意味は確実にあると思います。 暑いところにめっっちゃ並ばされて、ほんの30人だけ公開・・・っていうのは、結構な徒労感がね、ありますよ。 いや恨み言ですけど。 平日昼ですらこの倍率ですから、休日となるともっと絶望的な感じになるでしょうし。 ただ、もうチケット買っちゃったし、見て帰るか・・・と思って見た「不自由展以外の展示」はかなり良かったです。 凄い楽しめた。 「めっちゃアート好き」って人じゃなくても、一個一個「普通に暮らしていては見えない視点」をアート的に表現している感じが新鮮で、普通に知的好奇心がある人ならチケット代分ぐらいは楽しめると思います。 新幹線代が追加されて一日潰れて、コレだけ見て帰る・・・ので満足できるかどうかは、かなり筋金入りの「アート好きの自覚」が必要かもしれませんが。 そしてですね、この「不自由展以外の展示」を見て回ってる時に、芸術監督の津田大介氏が取り巻き?数十人を連れて見て回りながら解説してるのに出くわしたんですね。 いや「案外」とか言ったら失礼ですし、彼のことを私はよく知りませんが、ネットで「アートの専門家でもないのに云々」みたいな批判されてるの結構見ましたけど、「普通に専門家っぽかった」です。 一個ずつの作品の狙いや注目点、ユーモアを交えた裏側話など・・・よく美術館で配布される、イヤホンで一個ずつ解説してくれる機械・・・よりも「へえ、なるほど」的な発見もあったし、「なんだ普通に頑張ってるじゃん」的なことは思いました。 まあ、「学位」とかそういう話を持ち出すと専門家とはなんぞやみたいな話になりますが、アートの専門家度合いが学位だけで測られるというのも反アート的な態度だと思いますし(笑) 「不自由展以外の展示」がかなり良かったし、津田氏も、この政治的問題における賛否は人それぞれでしょうが、「芸術監督」としては結構頑張っておられたように感じましたことを、「フェア」に書き記しておきたいと思います。

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補助金不交付をKO、トリエンナーレ展示再開 激しい火花を散らす「官僚作文頂上対決」の行方(1/10)

あいち トリエンナーレ 再開

「暴力によるハイジャックだ」 インタビューは愛知県のする約8時間前の10月7日午前11時半から名古屋市役所で行われた。 どのように再開すべきか、関係者のあいだで激しい協議が行われていた。 ーー早ければ8日から再開となっていますが、市長の見解は? 再開なんていかんね。 決まっとるがね、こんなもん。 本当に(日本人の心を)踏みにじりますよ。 名古屋市民に恥かかせてええの? 無茶くちゃだがい。 ようやる。 こんな日本人の普通の人の気持ちをハイジャックして。 暴力ですよ。 そんなことやる人が、なぜ表現の自由なんて言えるんですか? 恥ずかしい… ーー大村知事には、それを伝えているんですか? 伝えてますよ、何べんも。 今日も副知事でもええ、そんなハイジャックはやめてくれ、と(伝えたい)。 悪いけど、暴力ですよ。 オープンしようというのは。 ーー市長も実行委のメンバーです。 不自由展再開に向けての協議には? そんなん無効ですよ。 暴力ですわ、今回は暴力ですよ。 俺、はっきり言うけれども。 芸術家と称せられる方の、一定の思想を持っとる人たちの、暴力ですよ。 市民の意見を暴力でハイジャックして奪ったということじゃないの? ーーどの辺がハイジャックだと表現されるんですか? 一般的な世論はあるでしょ。 天皇なら天皇の話で。 ええですよ、天皇制を反対する人がおっても。 でも、多くの人は、憲法第1条で象徴ゆう風になってるんですよ。 午後7時45分から開かれた緊急会見で、大村知事は「表現の不自由展・その後」を8日午後から再開すると。 ハフポストのインタビュー後、再開が決まるまでの間に河村市長と電話で話したと明かした。 再開が決まり、名古屋市側には事務方を通じて担当者に連絡したという。 などによると、河村市長は再開決定を受けて報道陣の取材に応じ、8日に会場前などで座り込んで抗議する考えを示したという。 あいトリのレガシー「暴力が残っただけ」 ーー検証委の中間報告では、「条件が整い次第、すみやかに再開すべき」とされています。 検証委なんてほとんど暴力ですよ。 メンバーについて、個人的に恨みはにゃーけどね。 ある方なんて、愛知県の顧問やっとって(検証委も)やってるわけでしょ。 第三者性なんかあるわけないじゃない。 どんどこどんどこ決めて…。 重要なことは運営委員会でやるって書いてあるがね。 1回もやらずに。 今日もう一回申し込もう思ってるけど。 ーー10月5、6日と、国際フォーラムが開かれていました。 市民も参加されての公開討論会も行われていました。 そんなの、暴力的に全部決めた人たちがですね。 なんで、そんな暴力の巷(ちまた)に行かにゃいかんですか、私。 本当に、ひどいですよ、本当に。 「あいちトリエンナーレ」の全面再開を発表した7日夜の会見で大村知事は「世界的に見ても一度中止になった展示が再開された例はないと聞いている」と評価。 さらに、「一つの芸術祭のあり方をお示しできたのではないかと思う。 あと1週間、色々な立場の方の意見を、異なる考え方の意見も尊重しながら、毎日安心安全な運営に全力をあげて(閉幕の)14日にたどり着きたい」として、アートと行政のあり方をめぐる、今後の大きな資産(「レガシー」)にしようという意欲をのぞかせた。 ーートリエンナーレもあと1週間で終わりますけれど、世界に向け、3年後のあいトリに向け、残せるレガシーはなんだと思いますか? 残せるもの(笑)。 暴力が残っただけですわ。 より厳しくチェックせな、になっちゃったがな。 なってくるでしょうが。 (これまでに、あいちトリエンナーレは)3回やったけども、みんな楽しゅう、楽しいゆうか、現代アートのプロモーションをやってちょ、いうだけだったの。 事後でも補助金やいろんな金を支払わないことができるという規定はあるんですよ。 ーー逆に、表現の自由を規制せざるを得なくなってしまった、と? こんな風になると、(そう)なりますよ。 そうなると、とにかくフェアにだけやらにゃいかん。 (事前に)きちっと出品者の名前を明らかにして、内容もちゃんと明らかにして。 自分で分かるでしょ、問題になるゆうことは。 表現者の方だったら…。 「マスコミは事実を伝えていない」 ーー河村市長が8月2日に不自由展を視察して以来、たくさんの節目がありました。 国内外の注目も非常に高まりました。 刻々と変化したあいちトリエンナーレをどう見ていましたか? マスコミの批判してもしょうがないことはないけど、正しいことを言わないかんよ、あんたたちも。 なんで表現の自由て大事かいうと、要は、民主主義社会においては色々議論が出てきて、言論の自由市場といいますけど、みんなでわあわあ言うようにせにゃあかん。 しかし表現の自由を自由市場にするためには、国民の知る権利が満たされておらなあかんわけですよ。 だから、マスコミが事実を伝えるのは、どえりゃあできゃあ(とても大事な)わけですよ。 ーー今回、メディアが事実を伝えていないというのは、どういう点でそう思われたんですか? 三つありますよ。 一つは、慰安婦のことばっかり言いますけど、天皇陛下の話がでかいんですよ。 天皇陛下の肖像を燃やしてですよ、それもバーナーで燃やしてですよ。 燃えてると朝日新聞が書いとったと思うけど(笑)、燃えてるんやない、バーナーという暴力行為で燃やしてる、それを足で踏んづけてるというのが展示されてる。 これは事実じゃないですか。 二つ目は、私は、悪いけど作家の人やら不自由展の実行委の人に、こういう表現をするなと言ったことはいっぺんもないですよ。 公共事業ではやめてくれ(と言ってるんです)、これ。 名古屋市と愛知県の、まあ国の金も入ってますけどね。 公共事業なわけです。 東京オリンピックと同じですよ。 東京オリンピックの会場に行ったら、慰安婦の像と天皇陛下の像を燃やして足で踏んづけるやつと、兵士が間抜けだいうのが飾ってあったらどうします? そこちゃんとやらないと、マスコミも。 公共事業だと(伝えないと)。 それから三つ目。 これが決定的だと思ってますけど、法的なことも考えてますけど、やっぱり公的なものを申請する時には、補助金適正化法というのがあって。 今回、補助金と主催という名義。 実は主催がでかいんですよ、名古屋市主催というと、名古屋市が認めた、すなわち市民がそれを応援するいうことになりますから。 名古屋市民が天皇陛下の像をバーナーで燃やして足で踏んづけるという表現行為を応援することになりますから、これ。 そのプロセスが明らかにアンフェアというか。 どう言ったらいいんだ? これ。 まあ、ハラスメントですわ。 ーーアートの解釈が人によって分かれるのはよくあることです。 今回の作品も、政治的スタンス、歴史の解釈によって感じ方は人それぞれだと思いますが、アート作品は国民全員が不快感を抱かないようなものであるべきだと思われるんですか? いや、公共事業だいうことが分かってないから。 外国人記者クラブでもいっぺん言わないかん。 違うんだいうて。 名古屋市直営事業なんだ、これ。 名古屋市直営事業ということになると、名古屋市民約230万人いますけど、愛知県だと700万くらいか…。 みんながみんな「OK」と言わなくてもいいですよ。 そら、いろんな意見があるから。 しかし、だいたいがですね、自分たちの意見を踏みにじられんもんをやってちょうだいよ、というもんですよ。 そうじゃないと困るじゃないですか。 これ、公共でやる場合は。 じゃあなんで、自分の金で、自分たちでやらんの? やりゃあいいじゃないですか、別に。 わしは、「どうぞどうぞ」とは言わんけど、「どうぞ」と一回くらいは言ったてもいい。 どっかの画廊をお借りになって、主張されればいいじゃないですか。 ーー公共の美術館を使って、公金を使うべきではない、と? いや、主催で。 主催が大きいんですよ、主催が。 それ言やあせんもん、あんたたちマスコミ。 これ主催って。 主催ってどういうことかいったら、東京オリンピックですがな、あれ。 あれ日本国主催だがね。 そりゃどういうことかいうと、みんなのためにやる、そりゃ100人が100人じゃないよ。 でもみんなの心を踏みにじるのはやめてくれ、と。 市民が思いますよ、そりゃ。 そういう意味で、日本国民の心を踏みにじるのは、主催はいかんですよ。 主催は。 編集部注:あいちトリエンナーレ2019の主催者は。 意思決定機関は「運営会議」で、会長が愛知県の大村知事、会長代行が河村市長。 委員には、中日新聞社の社長や、NHK名古屋放送局の局長も名を連ねる。 一方、芸術監督の津田大介さんは運営会議のメンバーではなく、芸術部門の責任者。 トリエンナーレ全体の企画を統括する役割を担う。 河村市長が使う「公共事業」・「名古屋市直営事業」・「主催」という言葉には違和感が残る。 同様に、東京オリンピック・パラリンピックの主催者は、日本国ではなく、となっている。 補助金は支払わない方針「不正義だった」 ーー市も補助金の一部を支払わない可能性があるとおっしゃっていましたけれど、そのあたり変化はありませんか? そんなもん、不正申告、目的外使用、もうそれがあったらいけないじゃないですか、それは。 市民の税金なんだから。 ーー文化庁も全額不交付との姿勢を崩しませんが、同じスタンスですか? 文化庁(の姿勢)も理解していますよ、私。 どういう展示しとくというの、(事前に)正直に言わなあかんですよ。 ーー事前に知っていたら止めていた? 事前に知ったら、実行委を直ちに開きましょうと言ったと思いますよ。 津田さんにも、展示やる人にも来てもらって、そこで議論するだがね。 そこで一つの方向性が出たと思いますよ。 ーー問題は事前のコミュニケーション不足だったということ? コミュニケーションじゃないが。 隠したんですよ。 そんな甘いもんじゃないですよ、これ。 だからね、反政府活動もええよ? 反政府活動も。 でもこうやってやるんだったら、堂々とやってくれなあかん。 こんな騙してハイジャックしちゃいけません、これ犯罪の可能性あるんですよ? 騙して犯罪的にやったことに、表現の自由ってあるんですか? なぜ嘘を言うんですか? 本当の事、言やあええの。 手続きも申請も、ちゃんと。 しょうがないんですよ、公共の主催でやろう言うんだから。 嫌なら、自分でやればいいんですよ、そりゃ。 公共の主催という看板を取りたかったわけでしょ? 補助金も取りたかったわけでしょ? ーーもし事前に議論されてたら納得感がありましたか? そんなもん分からんですよ。 やるまでもないじゃないですか。 嘘言って、騙して、出さなかった。 はっきり言ってるじゃないですか、作家も言ってるじゃないですか。 僕の知っとる芸術家も言ってましたよ、「ああいうのは、いかん」て。 正直に言わなあかんよ。 そこで議論することが、『表現の自由』の現れになるわけです。 そこで当事者も来て、僕なら「(内容や展示方式を)考えてくれんか」と言ったかもしれない、それは検閲ですか? ーー対話は、不自由展が中止となった後にあちこちでやっています。 作家さんたちも積極的に市民との対話の場所を作ったりもされていますが、それでは納得はできない? (騙して)出しちゃったら、ダメですよ。 当然のことながら、(展示を)出す前にやるに決まっとるがね。 そんなこと言っとたら、役人もいらんですよ。 議会もいらん、マスコミもいらのや。 何もチェックせんで、全部表現の自由だ。 そんなら。 ーーやはり、問題はスタートの段階でのコミュニケーション… 不正義だったの! コミュニケーションじゃない、不正義だったんです!これは。 「検証委そのものも暴力的だ」 ーー再開には否定的なお考えですが、もし「不自由展」が中止したまま再開されずにトリエンナーレが終わった場合、検証委も言っているように、電凸だったり攻撃的・脅迫性をはらんだような抗議によって表現の場が奪われるという悪しき前例を作ってしまうとは思いませんか? 検証委のみなさん、自分たちそのものが暴力的だと感じないかんですよ、まず。 だれが承認したんですか、あれ、検証委。 名古屋市になんの相談もねえ、突然出て来てね、その中に愛知県の顧問やっとる人が入っていてですね、第三者性なんかあるわけないじゃないですか。 悪しき前例どころじゃない、ちゃんと正直に(事前に情報を)出して来ればこんなこと起きんかったですよ。 僕は、「頼む、今のままだったらやめてくれ」と言ったと思いますけど、主張したければ、違うところでご自由にやるか、方式をもうちょっと納得行くように変えてくれと言ったってええでしょ。 ーーそれは検閲とは言わない? 言わないですよ。 検閲ゆうのは、最高裁の判例で決まっとって。 一切表現を禁止するやつを検閲と言うんです。 例えば、僕がある出版社に入っていって、「この本はもう出しちゃだめ」と、言うと検閲になる。 今回の場合、民間であればなんの問題もなく(展示)できるわけです、これ。 なんの問題もないかどうか、知らんけど。 私が言う権限もありませんし、検閲とは全く関係も無い。 100歩譲って(不自由展の作品が)芸術だというんだったら、(内容への口出しは)必要最小限にとどめなあかんいう論理は分かります。 それから、みなさんが気づいとらんのは、(今回のような)主催という問題は、ガバメントスピーチと言いますけど、「行政が発信するなら、正しい」という裏書き効果がある。 そういう効果がありますから、普通の画廊でやるのと、名古屋市主催でやるのと全く意味が違うんです。 名古屋市主催でこういうことをやりますと、そうでない意見の人たちは対抗できんせんのですよ。 ーーそういう風にならないように、委員会という形を立てて、芸術監督とかを間に立てるのが公共が関わる美術祭のあり方だと思うんですけど。 今回もその形を取っていましたが。 騙したで、いかんじゃないですか。 問題はそこに行きますよ。 本当のことを言っとれば、さすがの大村知事も、わしも言いますから。 ちょっと待ってくれと。 大方の日本人の気持ちを著しく害すると。 天皇陛下のやつは特にね。 アートとは何か。 「表現の不自由展・その後」が中止された当時、抗議電話の約4割が、昭和天皇の肖像写真をモチーフにした大浦信行氏の映像作品についての批判だった。 河村知事も、インタビューの中で、何度もこの作品について言及した。 ーーあの作品をご覧になって、あれがアートだということに異議はありませんか? アートの定義がなんだか分かりませんけども、まあ一般的に言ったら一人でも感動したらアートかもしれませんよ、定義はありませんから。 (でも)一般的にいう芸術ゆうものではないですわな、普通は。 ーー一般的にいう芸術とは、どういうものだとお考えですか? そりゃ、ああいう政治的なメッセージがあるものなら、ピカソの『ゲルニカ』とか、ああいうやつですわ。 それから平和なやつだと、『モナリザ』とか。 検証委によると、大浦氏は昭和天皇をモチーフにした作品について制作した背景をこう答えているという。 「映像の中で焼かれているのは写真でなく、自分(大浦氏)の版画作品そのもの。 焼くことを従軍看護婦の女の子に託したのは、それを焼くことで自分の中に抱え込まれた内なる天皇を燃やすことで昇華させる行為であり、祈りと言ってもいい」という。 さらに、「天皇を批判するために燃やすなどという幼稚なものは芸術の表現ではない」として、天皇を侮辱する目的ではないと強調している。 ーー大浦作品の意図はご存知ですか? 色々言っとるけど、そうなる(炎上する)に決まってるじゃないですか。 自分の意図がどうであろうと、受け取る人がどう思うかがでかいんだから。 ーー天皇陛下を燃やそうと思ったわけではない、ということはご存知… そんなバカな。 実際燃やしとるがな、バーナーで。 そんなん通じませんよ。 そんなこと。 悪いけど。 ーー感じ方はそれぞれですが、こういう解釈があるんだ、という風には思われない? 祈りがあったとか、そんなもんじゃないですよ。 (中間報告)読んどるけど。 普通の人が見て、どう思うかですよ。 そんなことを隠れてやって、どういうつもりですか?日本の国民世論をハイジャックしてどうするの、これ。 世界に大恥を晒して。 日本国民って、天皇陛下に敬意を持たん国なんだなということを世界に晒すことになるよ、言っておくけど。 ーー意図がどうであれ、まったく伝わらないと? 受け取る人がどう思うかが決定的にでかいわけですよ。 (事前に)正直に言いなさい、と言っとるんですよ。 ハレーションが起こるのと、非常に多くの日本の人たちの心を踏みにじることになるのは、分かっとるわけでしょ?そうでしょ? だいたい多くの日本人は、みんな陛下に敬意を持っとるわけです、長い歴史の中で。 そういう方たちの気持ちを踏みにじると思わない? 名古屋市民、愛知県民、日本国民。 主催事業ですから、自国の天皇陛下の肖像画をバーナーで暴力的に燃やして、足で踏みつける展示を積極的に認めたことになるんですよ。 主催だから。 恥じゃない? ーー作品を見て、平和や検閲について考える人も少なからずいると思います。 そういう人は、日本人、市民には当たらないんですか? 色んな意見があってもええですよ。 ほんだけど、やり方ちゅうのがあるんであって。 正直に「こういう展示を出します」と言えば、討論会になったでしょう。 実行委員会を開こうという事になっただろうから、そこに大浦さんが来て話せばいいじゃないですか。 ーー最後に一つ。 河村さんの中で、芸術祭や芸術とは、どういうものだとお考えですか? そりゃあ、みんな自分の意見をどんどん言っていくゆうのは、大変ええことであって。 ただフェアにだけやらないかん、ということです。 ある日突然、ハイジャックしてですね、騙して。 だまし討ちにしたような人たちが出てきてですね、マスコミも真実を伝えずに……。 そういうのは、本当に危険な日本になりますよ。 フェアにだけやって、そこで議論を巻き起こせばいいじゃないですか。 正当なステップが嫌だで、隠して出したんでしょ。 そこにどうして『表現の自由』があるんですか。 表現の自由という名の、国民世論の、普通の人の国民世論のハイジャックですよ。 暴力的、今回のは、ひどい話ですよ、こんなの。 おびただしい人たちの、天皇陛下に敬意を持とうという人たちの心はどうなるんですか? 名古屋市とか愛知県とか日本国とかそこが主催でやるんですよ? 個人じゃないのよ。 これは止めないかんでしょ、いくらなんでも。 恐ろしい話だわ。 どえりゃあ….

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