ホトトギス 鳴かぬなら。 ドライな武将「鳴かぬなら そういう種類の ホトトギス」

織田信長の名言?ホトトギスの意味と意外な性格やエピソード!

ホトトギス 鳴かぬなら

そういう風に「歌われた」武将はいますが「歌った」武将はいません。 これは詠史句(歴史上の出来事や人物を主題とした詩歌)といって後世の人が 武将の性格分析をするおり、ホトトギスを敵側と置き換えた場合の戦国武将の 対応の仕方というか武将の性格というか戦のやり方を象徴的に詩に表したもの だからです。 ちなみに有名な三人の武将をとして歌われたのは 織田信長「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」 豊臣秀吉「鳴かぬなら鳴かせて見せようホトトギス」 徳川家康 「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」 で今回の「鳴かぬなら 逃がしてしまえ~」と歌われた武将は検索したところ 明智光秀さんのものではないでしょうか。。 「鳴かざれば、放してやろう、ホトトギス」 参考URL: A ベストアンサー 私の勝手な解釈を書かせていただきたいと思います。。。 時間の流れ、物事の変化というのは定まっているもので、 過去、現在がこうであるから、未来がこうなる、と予測することは不可能だということだと思います。 未来に起こるさまざまな事象は大小の違いはあれ、予測とは異なってるものだと思うのです。 そのような、なるようになるという世界だから、 自分の意思こそが物事に意味を与えるものなのであり、 どうせ定まっていて変えられないものなら、 自分の信念こそが、自分の世界における時間であり物事だったりすると言えると思います。 過去や現在に憂慮してその気持ちばかりにとらわれていたら、 その気持ちでしか世界が見えない。 だから過ぎたことも先のこともくよくよ考えないで、 おおらかに構えてほんのり前向きな気持ちであれば、 そう信じたように世界は見えてくる。 なっていく。 というようなかんじではないでしょうか? うまく言えませんでしたけれども、いい言葉だなぁと思いました。 かなり生きるヒントですよね! A ベストアンサー 人柄ということですので、ちょっとしたエピソードを紹介したいと思います。 光秀の奥さんは、煕子さんという人だったのですが、 実はこの煕子さんは、光秀の元にお嫁に来る前に疱瘡という病気にかかり 顔に醜い痕が残ってしまったそうです。 煕子さんの実家では、織田の重臣明智光秀の嫁になる人だ 醜い煕子でなく、親戚の子を煕子ということにして、 光秀の下に送ろうと決めました。 だけど、光秀は偽者である事をすぐに見抜いてしまいます。 そして、煕子の実家に使者を送りこう告げます。 「約束の煕子さんが、疱瘡にかかったと噂は聞いてます。 ですが、何も気にしないで、どうかお嫁に来てください。 」と こうして煕子は、無事に光秀の元に嫁入りします。 しかも、光秀は側室を持たず、この煕子を生涯ただ一人の妻として愛します。 以上のエピソードから、光秀は大変潔癖な人物であり、 とても優しい人柄を持ち合わせた、戦国時代には珍しいタイプの人だったようです。

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ホトトギスの鳴き声は、ホーホケキョではない?!

ホトトギス 鳴かぬなら

子供の頃はずっと人質生活なんです。 1542年、 三河国 みかわのくに ) 愛知県 で生まれました。 名前は 竹千代くんです。 まだ徳川ではなく松平を名乗っていたので、 「松平竹千代」くんです。 名前が少しずつ変わります。 最終的には「徳川家康」ですからね。 原型なしです。 3歳頃、竹千代くんの父は今川氏の傘下でしたが、母の実家が今川氏と敵対する織田氏と同盟してしまったために、 母とは生き別れとなってしまいます。 6歳頃、今川氏との同盟を固めるため、幼い竹千代くんは 駿府 すんぷ 静岡県 に人質として出されるのです。 しかしここで事件です! 駿府へ向かう途中、味方の裏切りに合い、なんと敵対していた織田氏の 尾張国 おわりのくに ) 愛知県の北 に連れていかれてしまったのです。 織田信長さんの父・ 織田信秀 おだのぶひで )さんは、竹千代くんの父に降伏を促します。 しかしお父さんは、 「もし子が殺されるようなことがあれば、皆がするように仕返しをするだろう」と言い、従いませんでした。 織田信秀さんは感服し、竹千代くんを生かしておきました。 この頃、7歳年上の織田信長くんと出会っていただろうと言われております。 もしここで竹千代くんが殺されていたならば、もちろんのこと264年続いた江戸幕府は誕生していません。 日本の歴史はとてもとても変わっていたでしょうね。 8歳頃、竹千代くんの父は今川氏との連合軍で織田信秀を倒し 竹千代くんを救い出しました。 しかし竹千代くんは 元々の約束の駿府への人質のためそのまま向かいます。 しかしその 10日後、 竹千代くんの父は家臣に殺されてしまうのです。 織田信秀のスパイ説もあります。 どちらにせよ、竹千代くんはまた命が助かった形になるのです。 もしここでも竹千代くんが亡くなっていたら、江戸幕府は誕生していませんでしたからね。 織田信長とともに戦国の動乱へ! 14歳、竹千代から 「 松平元信 まつだいらもとのぶ )」と名前を変更。 今川義元 いまがわよしもと )さんから1字もらってます。 16歳、さらに祖父の松平 清康 きよやす )さんから1字もらって、 「松平 元康 もとやす )」にさらに変更しました。 だんだんあの名前に近づいてきましたね。 同じ年に結婚しまして、2年後に長男が誕生しました。 20歳頃、織田信長さんと今川義元さんが戦った 「 桶狭間 おけはざま )の戦い」に今川方で参戦しましたが、 負けてしまい切腹しようとするのです。 しかし、切腹しようとしていた寺の住職に 「平和な世の中をつくるのです」と言われ踏みとどまりました。 ここで亡くなっていたら江戸幕府は来なかったですから。 この住職の言葉から平和な江戸幕府の姿を夢見ていたかもしれませんね。 この戦い以降、今川氏と独立しようと考え、織田信長さんとの同盟を考えます。 これが戦国時代の面白いところですよね。 「昨日の敵は今日の友」ってやつです。 今川義元さんからもらっていた名前も捨て、 「松平家康」と改めます。 家康さんの長男と信長さんの娘の婚約も決まります。 信長さんとの同盟も盤石のものとなっていったのです。 25歳頃、領土をどんどん広げていき、姓も「徳川」に変えました。 ついに 「徳川家康」の誕生でございます。 信長さんと共に、 武田信玄 たけだしんげん )さんや浅井三姉妹の父・ 浅井長政 あざいながまさ )さんなど、武将たちをばったばったと倒して行きます。 信玄さんには1度、ボロクソに負けてしまった事はありましたが…。 情けない自分の戒めのために、その時の自画像を残しちゃってるんです。 凄いのか凄くないのか全くわかりませんが。 家康さん40歳頃の出来事です。 豊臣秀吉登場で、鳴きそで鳴かないホトトギス! 京都の 本能寺で織田信長さん死去。 家臣・ 明智光秀 あけちみつひで )さんの裏切りでした。 家康さんは信長さんに招かれ、大阪で遊んでおりましたら、その悲報を聞き大慌てです。 自分の周りには34人の家臣しかいません、この時、自分も攻められたらひとたまりもないからです。 信長さんの後を追うことも考えます。 さすがにそれは家臣に止められています。 家康さんって結構なネガティヴ気質だったんですね。 「鳴くまで待とう」もなんかしっくりきますよね。 お供の中には忍者・ 服部半蔵 はっとりはんぞう )さんがおり、山道を超えて逃げる 「 神君伊賀越 しんくんいがご )え」を成し遂げ、家康さんは無事自分の国へと帰ることが出来ました。 実はこの半蔵さんは忍者ではなくまぎれもない武将なんです。 訪問ありがとうございます。 新しい記事をどうぞ• よく読まれている記事です• 35,461件のビュー• 33,475件のビュー• 32,196件のビュー• 32,193件のビュー• 30,348件のビュー• 21,987件のビュー• 18,996件のビュー• 18,698件のビュー• 16,522件のビュー• 14,265件のビュー カテゴリーから探せます• アーカイブ• メタ情報•

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ドライな武将「鳴かぬなら そういう種類の ホトトギス」

ホトトギス 鳴かぬなら

ほととぎすってなに? ホトトギスとはどういった生物なのか。 鳥だということはわかっていても、実物を見たことがない方も多いのではないだろうか。 ハトのような見た目だが、それより少し小さい。 頭部と背中は灰色で、翼と尾羽は黒褐色をしている。 胸と腹は白色で、黒い横しまが入るが、この横しまはカッコウやツツドリよりも細くて薄い。 目のまわりには黄色のアイリングがある。 様のサイトから画像を拝借しました 肉食で毛虫などを食べる。 自分で子育てをせず、ウグイス等に托卵する習性がある。 渡り鳥で、越冬するために日本には5月中旬ごろにやってくる。 昔は太陰暦だった為、当時の人たちは5月中旬は初夏という認識だった。 ついでに ホトトギスの鳴き声も聴いてみよう。 そういえば正岡子規も自らを ほととぎすに例えて俳号を子規にしている。 ほととぎすの漢字は数パターンあるのだが、そのうちの一つが子規なのだ。 古来からほととぎすを詠んだ歌はたくさんある ほととぎすは血を吐いても泣き続ける鳥と言われており、別名で文無鳥(あやなしどり)とも呼ばれている。 他にも杜鵑、杜宇、蜀魂、不如帰、時鳥、子規、田鵑などとも呼ばれている。 どれも「 ホトトギス」と読む。 日本では古来から一般的な鳥として親しまれており、初夏の訪れとともに飛来して多くの人々を魅了してきた。 ホトトギスが詠まれた和歌は万葉集で153例。 古今和歌集で42例。 新古今和歌集で46例。 あの百人一首にも有名な ほととぎすの歌が入っている。 百人一首( ほととぎす鳴きつる方を眺むればただ有明の月ぞ残れる) 「ただありあけの月ぞ残れる」 意味は分からなかったけど、なぜか子どもの頃からこの歌が一番好きだった。 ほととぎすに込められた思いとは 平安時代頃から ホトトギスは「黄泉の国へと導く鳥」とされていた。 5月中頃(昔の感覚では初夏)に飛来し、秋に南へと去っていく。 その為、ホトトギスの鳴き声が聞こえてきたら田植えを始める合図であったり、 激しい鳴き声から連想して恋を詠んだ歌が多い。 また、恋の終わりを告げる初秋の儚さを詠んだ歌もある。 そして、人の死を連想させることから、徳川家康が ほととぎすを詠んだ歌もある。 (家康が前田利家の死を待っていたとする説がある歌だが真偽は不明) 様のサイトから画像を拝借しました 「ほととぎす」を詠んだ代表的な句 ほととぎす鳴きつる方を眺むればただ有明の月ぞ残れる 後徳大寺左大臣(藤原実定)の句(百人一首) (ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば ただ有明の 月ぞ残れる) だいたいの意味:ほととぎすが鳴いた方を眺めれば、ほととぎすの姿は見えず、ただ有明の月が淡く空に残っているばかりだった.

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