鎌倉大仏 津波。 「鎌倉震災誌」 鎌倉を襲った8メートルの津波|賃貸経営マガジン編集長のブログ「オーナーズ・スタイル こぼれ話」

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鎌倉大仏 津波

こんにちは。 大家さんのための賃貸経営マガジン「オーナーズ・スタイル」 編集長の上田です。 金曜日は「鎌倉大家日記」です。 「鎌倉震災誌」という本があります。 昭和6年に当時の鎌倉町役場から発行されました。 いまも鎌倉の古本屋さんで見かけることがあります。 大正12年の関東大震災による鎌倉の被害と 復興について、 まとめられています。 関東大震災の震源地は相模湾でした。 震度は8クラスだったと言われており、 湾に面する鎌倉の全域は、一瞬のうちに壊滅しました。 当時、旧鎌倉市街は「鎌倉町」と呼ばれていました。 大船、腰越、深沢などの地域は、 まだこれに含まれてはいませんでした。 「鎌倉震災誌」によれば、 この鎌倉町の全戸数は4,183戸。 そのうち、 全壊 1,455戸 半壊 1,549戸 埋没した家 8戸 津波による流失 113戸 地震直後の火災での全焼 443戸 ほぼ壊滅といっていい状況です。 死者は412名、重傷者は341名にのぼったそうです。 また、 相模湾沿岸を襲った津波の高さは5~8メートル。 鎌倉では8メートル程度になったと推定されています。 津波は熱海・伊東以南の沿岸を浸しつつ北上し、 小田原付近で東へ折れたのち、 鎌倉を襲ったと考えられています。 小田原・大磯などの被害は少なかったのですが、 鎌倉方面はそうでなく、 主に、 海抜の低い江ノ電の長谷~由比ヶ浜あたり、 さらに材木座あたりが、甚大な被害を受けました。 流失家屋は繰り返しますが、113戸。 少な目にも思えます。 実は当時、 このあたりには国道134号線もまだ無く、 砂浜と松林が広がる中、家自体が少なかったとのこと。 そのため、 この程度で済んだようです。 津波は2回にわたって来襲しました。 被害は1回目よりも2回目の方が はるかに大きかったのだそうです。 海水が急激に沖へ引いたあと、 やがて、 黒褐色の大波が押し寄せてきた、といわれています。 こうした「鎌倉震災誌」などの記録を 当時の写真などのビジュアルもまじえて見ることができる サイトもあります。 特に鎌倉にお住まいの皆様など、 よろしければぜひご覧になってみてください。 「鎌倉震災誌」は、 こうした被災の歴史をもつ鎌倉の防災を考える上で、 これからも 市民の宝でありつづけることでしょう。 「鎌倉震災誌」に記された経験者の談話です。 その時砂浜には被災者が5、60名位づつ数個所に避難しており、 気がついた人々は辛うじて逃げ去った。 家屋や護岸が流された。 極楽寺 第2震の20分ほどのち、 海水は江の島の東端より三浦半島に向って 一直線を引いたと思われるあたりまで引き去っていた。 ところが見る見るうちに3m以上の大波が襲来し 由比ヶ浜方面に向ったが、その余波は極楽寺川にも浸入した。 再び海水は引き去り、夕方には500m位沖まで引いていた。 翌朝は潮が満ちていたが、砂浜は広がっていた。 極楽寺の人家はいずれも高所にあったためか、 ほとんど流されてはいなかった。 乱橋材木座 津波は最初、砂浜を没して岸壁に衝突し豆腐川に浸入したが、 急速に400m位沖合まで引き去った。 和歌江嶋が長く半島状に露出するとその約20分後再び来襲して、 豆腐川を中心として付近一帯の人家や岸壁を破壊した。 海水は補陀洛寺辺りまで浸入して電柱を没した。

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鎌倉大仏 津波

しかし、海のそばに暮らす鎌倉市民にとって 「津波」という災害は、決して他人事ではなく明日は我が身の警戒しなければならない災害の1つになります。 また、 これから鎌倉移住を考えている方にとっても、鎌倉の自然災害の実態を把握しておくことは、住む場所を選んだり、災害に備えたりする際にも、かなり重要になってきます。 そこで今回、 将来的に鎌倉で津波が発生した場合に想定される被害について調べてみましたので紹介させていただきます! いかがでしたでしょうか? ちょっとビックリしてしまいましたか? この動画は、将来的に鎌倉で大地震が起こることを想定して、もし鎌倉で津波が襲来した場合、どこまで津波が到達してどのような被害状況になるのか、コンピューターグラフィックを使って再現した 鎌倉市津波シミュレーション動画になります。 これによると、鎌倉で発生する地震の中で最も津波が高いものが、 相模トラフ地震の 14. 5mと予測されています。 そして、津波が鎌倉市沿岸まで到達するまでに残された時間は 8分 地震発生から8分の間にどのような行動をするかによって、その後の命が左右されるといっても過言ではありません。 次に、実際に津波が鎌倉に来た場合、 どの地域が津波に襲われるのかについて、ハザードマップで見ていきましょう。 鎌倉に津波がきたらどうなる!?ハザードマップで津波到達地点を把握! 鎌倉で津波が来た場合、 はたしてどれくらいの地域に津波が到達するか?ということで、鎌倉市が発行している ハザードマップから一部抜粋させていただきました。 引用:鎌倉市ハザードマップ ちょっと見ずらいのですが、これによると 鎌倉駅付近は 4m-5mの津波が到達することが想定されます。 一般的には、ビル1階分が3mくらいと言われていますので、 鎌倉駅周辺の建物は1階部分が水没してしまうイメージです。 また、驚いたことに、 津波は鶴岡八幡宮あたりまで到達してしまうことが予想されています・・!津波の高さ的には 0. 5m程度となっていますが、鎌倉の海岸から30分ほどの距離にある鶴岡八幡宮まで到達するとは、ちょっと驚きました・・・! また、鎌倉大仏の最寄り駅である長谷駅周辺にいたっては、海岸が徒歩圏内ということもあり、 なんと 6m-7mの津波が到達することが予想されています。 これは、ビル2階分が水没するイメージです。 そもそも長谷地域は、1498年の明応大地震の際に、5-8mの津波が鎌倉大仏まで到達して、大仏殿を打ち破り、 溺死者も200人余り出たという悲しい過去があります。 そのため、将来的に震災に見舞われた場合、 最も危険度が高い鎌倉地域は、長谷地域ではないかと地元住民の間では言われています。 移住前に必見!鎌倉で津波の被害が少ないエリア 引用:鎌倉市ハザードマップ 先ほど紹介しました鎌倉の津波ハザードマップをもう一度見てもらうと、 右半分の稲村ケ崎公園~鎌倉までのエリア一体が、 津波で浸水しているのが見てとれます。 逆に、 左半分の稲村ケ崎公園~腰越までのエリアは 津波の色がほとんどついていないことが分かります。 これはどういうことかというと、稲村ケ崎公園から右半分のエリアにある坂ノ下~鎌倉までのエリアは坂がない平地となっている場所が多く、坂ノ下にいたっては 海抜2. 7メートルという低さになります。 そのため、万が一大地震がおこって津波が発生した場合は、 坂ノ下~鎌倉までのエリアはほぼ津波で浸水してしまう状況になります。 逆に稲村ケ崎公園から左半分のエリアは、急な坂が多くて住宅地も高台にあるため、 津波が来てもほとんど被害はないことが想定されます。 そのため、これから移住を考えている人にとっておススメのエリアとしては、稲村ケ崎公園から左半分のエリアである、 七里ガ浜と 鎌倉高校前がおススメになってきます。 万が一のために!津波から身を守るために必要な備え 将来的に必ずおこると言われている 関東地域の大地震。 いつ起きてもおかしくない地震や津波に備えて、ご家庭で取り組むべき備えについて紹介させていただきます。 食料・飲料などの備蓄 大地震など災害に見舞われた場合、電気・水道などのライフラインが止まる可能性が考えられます。 その際に備えて、普段から飲料水や保存のきく食料などを備蓄しておきましょう。 ちなみに、大規模震災発生時には 「1週間分」の備蓄が望ましいと言われています。 飲料水は1人1日3リットルは消費すると言われていますので、それぞれご家庭の人数分は常備しておくようにしましょう。 また、食料については我が家(家族3人)の場合、乾パンが2箱分(48缶分)、アルファ米が30袋、カップラーメンが10個を最低限備蓄しています。 その他にも、缶詰や自家栽培の野菜などもありますので、1週間分はやりくりできるようになっています。 特に、乾パンやアルファ米は、長持ちするのでおススメですよ! 避難場所や避難経路の把握 災害が起こった場合には、 避難場所や 避難経路を知っているかいないかでは助かる確率が激変します。 鎌倉市では ハザードマップや 避難所マップなど、災害に備えた情報がホームページで掲載されていますので、一度確認しておくことをおススメします! 安否確認サービスの把握 家族の安否確認の方法として、政府の方で 災害用伝言ダイヤルというのが設けられています。 災害時には、携帯電話の回線がつながりにくくなり、連絡がとれない場合もありますので、その際には以下のサービスを利用しましょう。 電話の種類は、公衆電話、IP電話(一部)、携帯、PHSからでの利用が可能です。 まとめ 今回、 将来的に鎌倉で津波が発生した場合に想定される被害について紹介させていただきましたが、いかがでしたでしょうか? 鎌倉市が制作した 津波動画シミュレーションの内容は衝撃的だったと思いますが、近い将来あの光景が現実化する確率が日に日に高くなっています。 そのため、来たる日に備えて、日頃から防災意識を高めて備蓄をしたり、避難経路を確認したりという行動が、 災害から身を守る上で非常に重要になってきますので、既に鎌倉に住んでいる人は、これを機会にもう一度家族の間で災害について話し合ってみましょう。 また、これから鎌倉移住を考えている人は 七里ガ浜や 鎌倉高校前など、 住宅地がなるべく高台にあるエリアを引っ越し先として優先的に選ぶことをおススメします。

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なぜに野ざらし…?鎌倉の大仏に大仏殿が無い理由は自然災害にあり

鎌倉大仏 津波

鎌倉大仏の本殿が津波で流されたということがよく言われますが、それは間違いです。 俗説では、1495年の明応の地震津波で流されたと言われますが、この原典をたどっていくと江戸時代に書かれた「続本朝通鑑」です。 つまり何百年も前に起こったことを、伝説のような形で江戸時代に言われていたことを記録に残したものです。 一方、1486年に書かれた「梅花無尽蔵」という書物には、当時、長谷の大仏にはお堂がないということが書かれています。 この記録は実際に見たことを書いたものなので、まず間違いはありません。 それでも1495年の津波で流されたとすると、1486年から1495年の間に誰かが立てないといけないのですが、こんなことは常識的には考えられないことです。 それにもし1495年の明応の地震津波で流されたとすると、大仏より低い場所にある鶴岡八幡宮にも津波は達していたはずです。 そうだとすると、それについて何らかの記録は残っているはずですが何も残っていません。 いつ書かれたものかよくわかりませんが、当時の記録を記述しているものとして「鎌倉大日記」というのがあり、ここには応安2年(1369年)に、鎌倉殿転倒という記述があります。 鎌倉の大仏殿は、1369年に何らかがあって倒れてしまったもので、津波で流されたものではないとするのが、歴史の専門家の常識です。 それからもう1つ、明応の地震津波に2つあります。 1つは1495年、もう1つは1498年です。 1498年は南海トラフの地震で、あまり東のほうには伸びていなくて相模湾にはそんなに大きな津波は来なかったと考えられています。 相模湾を襲っている津波は1495年です。

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