しらこばと 草加 せんべい。 「埼玉名物」を東京で

「埼玉名物」を東京で

しらこばと 草加 せんべい

おせん茶屋 江戸時代の雰囲気を味わる休憩スポット おせん茶屋公園の敷地内にある茶店風の休憩所「おせん茶屋」。 草加せんべいの元祖と言われる「おせんさん」にちなんで名付けられました。 おせん茶屋周辺に漂うのは、江戸時代の日光街道の宿場町の雰囲気。 建物内は和風の装いで、高札を模した掲示板なども設置されており、草加市の町中にいることを忘れてしまうほどゆったりとした時間を過ごすことができます。 昭和63年には建設省主催の手づくり郷土賞「小さなふれあい広場30選」にも選ばれており、地元の人たちだけでなく全国から訪れた観光客も足を運ぶ人気スポット。 草加市観光の合間の休憩にもぴったり! レトロな雰囲気を感じに一度訪れてみてはいかがでしょうか。 綾瀬川左岸広場 噴水やシバザクラ、広大な芝生で青空を仰ぐひと時 東屋や休憩所が併設されている「綾瀬川左岸広場」。 その名の通り、草加市内を流れている綾瀬川の左岸に造られた市営公園です。 青々とした芝生広場が広がる、約2万平方mの広大な公園。 芝生広場やダスト広場があり、壁泉や噴水も設置されているため、晴れた日には清々しい雰囲気の中でのびのびと過ごすことができます。 大阪窯業の工場があった場所を活用しており、東武鉄道の引込線へレンガを運んでいたトロッコの軌道跡が残されているのも面白いポイント。 また、護岸ではシバザクラが花を咲かせますので、開花時期には美しい光景を目にすることができますよ。 木製のブランコをはじめとしたアスレチックや遊具が用意されていて、お子様にも大人気。 芝生に横たわりながら青空を仰ぐ。 そんな、ちょっとした憩いのひと時を観光プランの一つに加えてみてはいかがでしょうか。 草加市立歴史民俗資料館 草加市で発掘された、縄文時代などの出土品を間近で見られる! 埼玉県草加市の歴史を学ぶなら「草加市立歴史民俗資料館」。 歴史資料や民俗資料を所蔵・展示しています。 常設展示では、 市内で出土した縄文時代の丸木船や古墳時代に作られた土器、鎌倉時代の板碑や古文書などを展示。 また、「奥の細道」を旅していた松尾芭蕉が草加宿(現在の草加市)を訪れたときの様子を描いたコーナーや、郷土の作家である豊田三郎や森村桂のコーナーも設置されています。 草加市立歴史民俗資料館の建物自体も貴重で、大正時代、県内で初めてとなる鉄筋コンクリートで作られた小学校の校舎を再利用。 国の登録有形文化財に指定されています。 縄文時代や古墳時代など古くからの歴史に触れに、一度は足を運んでおきたいスポットです。 そうか公園 東京ドーム約4個分の広大な敷地でリフレッシュ! 総敷地面積が約17haと広大な「そうか公園」。 イベント広場や全天候型のテニスコート、多目的運動広場などがある総合公園です。 東京ドーム約4個分の園内には、四季折々の草木が花を咲かせており、野鳥や昆虫の観察ができる森林もあります。 芝生エリアやオープンスペースでは、お弁当を食べたり、寝そべってみたり、のびのびとしたひと時を過ごせますよ。 春先には桜が咲き乱れる名所としても有名。 公園の西側を流れる八条用水沿いに桜並木があり、桜を見上げながらの花見客が多く訪れます。 夏には紫陽花や花菖蒲、秋には紅葉も綺麗。 豊かな自然の中で一日中遊ぶことができますので、リフレッシュしに訪れてみてはいかがでしょうか。

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草加せんべい物語

しらこばと 草加 せんべい

今や全国に知られる和菓子の一大ブランド、草加せんべい ルーツについては諸説ありますが、最も親しまれているのは「おせんさん」のエピソードです。 草加が日光街道の宿場町として栄えた頃、おせんさんという女性が街道で旅人相手の茶屋で団子を売っていましたが、この団子はたまに売れ残ってしまうこともありました。 団子は日持ちがしません。 おせんさんはこの団子を捨ててしまうのはもったいないと悩んでいました。 ある日茶屋の前を通りかかったお侍さんに「団子を平につぶして天日で乾かし、焼き餅として売る」というアイデアをもらいました。 おせんさんが早速焼き餅を作って売り出したところ、たちまち評判となりその焼き餅は街道の名物になったという話が語り継がれています。 草加の観光マップなどで紹介されるこのお話は、実は昭和時代に作られた物語です。 では本当の歴史はどんなものだったのでしょうか。 草加せんべいの歴史 草加は昔から米どころと言われ、多くの米がとれたことから、農家の人たちは余った米を保存するために団子状にした米を乾かしたものを保存食として作っていました。 江戸時代になり、草加宿ができると、茶屋や物売りが軒を並べるようになりました。 このころから保存食だった煎餅も店で売られるようになり、広まっていったと考えられています。 当初は生地に塩を練りこんだものでしたが、醤油が普及し始めた幕末から、焼いたせんべいに醤油が塗られるようになりました。 明治後半になると煎餅屋が増えていきますが、当時はお煎餅屋としてではなく、雑貨などの商売の片手間に行われていました。 大正時代以降、煎餅の認知度は高くなります。 そのきっかけは当時川越で行われた特別大演習で、「煎餅」が埼玉の名産品として天皇に献上されたことにあります。 これが「天皇家が召し上がったおいしい草加の煎餅=草加せんべい」として名称が広がっていきました。 このころから煎餅づくりは地場産業として発達していきました。 昭和に入っても順調だった煎餅産業は、太平洋戦争の激化から配給物資の統制により材料の米が手に入らず、煎餅屋は次々に廃業。 警察の厳しいヤミ米取締の中、どうにか材料の米を手に入れて製造を続けた業者もいましたが、煎餅産業にとって受難の時代がしばらく続きました。 しかしこの時危険を冒してまでも技術の伝承を途切れさせなかったことが後に幸いしました。 昭和30年代コメの統制解除や高度経済成長の波に乗って、駅やデパートでの即売会などで「草加せんべい」の知名度は飛躍的に上がりました。 しかし「草加せんべい」の知名度が上がるにつれ、草加以外の煎餅屋の製品や、異なる製法によるものに草加せんべいの名称を使う業者が全国で横行し、その結果「草加せんべい」は全国的な知名度を得たものの、類似品や模倣品によって信頼が低下してしまいました。 こうした状況を打開し、正真正銘の「草加せんべい」ブランドの復権と確立に向けて、市と煎餅業者が一致団結し、「本場の本物」の認定に続き、「地域団体商標」を登録しました。 本場の本物とは? その地域で伝統的に培われた「本場」の製法とその地域の材料を使った「本物」の味を作り続ける加工食品に対し、農林水産省が管轄する(財)食品産業センターが認定する地域食品ブランド表示基準により、平成18年2月に草加せんべい他6品目が第1号として認定されました。 草加せんべいの基準は次のとおり(認定当時)。 製造地:草加・八潮・川口・越谷・鳩ケ谷で製造• 材料:関東近県で収穫された良質のうるち米• 製造:最低10年の経験を持つ職人が製造を管理• 焼き方:押し瓦での型焼き又は押し瓦方式を取り入れた堅焼き 注:鳩ヶ谷市は平成23年10月11日に川口市と合併しています。 認定商品には信頼の証である「本場の本物」マークが表示できます。 本場の本物について詳しくは下記リンクよりご覧ください。 (外部サイトにリンクします) ブランド確立に向けて 「本場の本物」認定と「地域団体商標」登録を受け、平成18年に草加せんべい振興協議会と市では、草加せんべいのブランド確立に向けた協定を結びました。 また、専門機関が各事業所の工場で製造工程・衛生管理・食品表示などのチェックを行い、品質管理を徹底しています。 そのほか、せんべいの栄養成分の分析や、「本場の本物」普及のための展示会等への参加、さらには、個々の事業所による創意工夫が続けられています。 現在、市内にあるせんべいの製造所や販売所は50軒以上。 製造工程は機械化されつつありますが、昔ながらの天日干しや手焼きも行われています。 各社使用する米の銘柄や使う生地、味付が異なり、自分好みのおせんべいを探してみるのはいかがでしょうか。

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草加せんべい物語

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しかし、今から5、6千万年前には関東平野は魚が泳ぐ海の底にありました。 長い間、海進・退を繰り返し、縄文時代中頃より次第に陸地になり、その後、弥生時代に入り今の東京湾の原型が出来ました。 台地で暮らしていた人々が水田耕作の為に低地に下りてきて、草加地方に住みついたといわれています。 「草加」という地名は湿地帯に「草を束ねて加えて」人々が通る道を作ったので「草加」といわれたと伝えられています。 草加せんべい」は江戸の昔、大名行列の頃、日光街道の草加の茶店で「おせん」というお婆さんが「おだんご」をつぶし燥して焼き、香ばしい醤油をつけたのが道行く人々の好みに合って広まったといわれております。 5キロの間には、約600本の松が植えられています。 綾瀬川をバックにした景観は江戸の昔から「草加の松原」とよばれ街道の名物でした。 今では、並木のあいだに遊歩道や太鼓型の百代橋があり、市民の憩いの場となっております。 昭和62年10月には「日本の道百選」に選定され、名実ともに草加のシンボルとなっております。 平成24年5月 東京スカイツリーの634mを記念して、34本の松を増殖し634本(むさしの松)としました。 「草加物語」は、草加亀楽煎餅本舗の登録商標です。

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