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腐女子をやめるにはどうすればいいですか?:キッズなんでも相談:キッズ@nifty

どうも 腐 女子 です

大丈夫だよ 私も腐女子です。 そういうのが好きですし、 普通のアニメを見ていても、 腐向けの方向に考えてしまいます。 私も腐女子をやめたいと 思った事が何回もあります。 周りに打ち明けても、 皆、気を使ってくれて、 「大丈夫、そういう人もいるよね」 とか、 「別に俺は気にしないから」 とか、優しくしてくれるのですが、 それにすら罪悪感が沸きます。 でも、無理にやめる必要は 無いと思います。 好きなものは 好きなんだから、 仕方ない。 そう割り切ってしまえば、 案外気持ちは落ち着くものです。 アドバイスとしては、 腐向けなとが苦手な人もいる、 という事を考えて、 普通の人には腐向けの 話をしないこと、です。 腐向けが好きな仲間や、 親友にだけ話を聞いてもらったり、 自分の中だけで楽しむのは 全然いい事だと思いますよ。 大丈夫です、絶対。 りおんさん(北海道・12さい)からの答え とうこう日:2017年6月3日• いっそのこと腐女子卒業を! 辞めたいならきっぱりと辞めましょう。 7年ほど腐女子をしていた、元腐です。 私の場合は、とある女性アイドルグループと野球観戦にハマり、二次元愛が薄れて来ました。 オタ卒はちょっとしたきっかけで起こるものです。 現役で腐女子をしていた頃は絶対ハマらないものにハマる事もあるかもしれませんよ。 それでも、昔から好きだったアニメのまどマギやローゼンメイデンなんかは変わらず好きなんですけどねw 友人同士で腐の会話をしている場合は聞き役に回るのはどうでしょうか。 話をあまり自分から振出さなくなるだけでも変わってくるものだと思いますよ。 そして、質問者さんは女性でしょうか?女性で俺や僕の一人称は腐女子特有のものです。 できれば直した方が良いかもしれませんね。 カーディナルさん(北海道・16さい)からの答え とうこう日:2017年2月9日.

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「よるドラ」腐女子どう描く?

どうも 腐 女子 です

どうも、理系です。 ツイッターで、書いて欲しいという意思表示があったため、今回は「腐女子」というものについて述べていこうと思う。 ただし、筆者は腐女子ではないため、補足や所感があればコメントいただきたい。 タイトルの意味や、なぜこのボカロ曲をピックアップしたかは、読んで行けばお分かりになると思う。 定義 「腐女子」とは、男性同士の恋愛を扱った小説や漫画などを好む女性のことである。 BLを好んでいるものの、現実における同性愛にには興味や関心はないことが多く、あくまでもフィクションとしての男性同士の恋愛を楽しんでいる。 そのため、リアルにおいて、「腐女子」の恋愛対象は男性である傾向が高い。 ただし、同性愛に対する許容度は腐女子でない女性と比べて高い。 では、この恋愛やセックスの対象(性的指向)と性的な好みや関心(性的嗜好)が一致しない理由は何なのかを次に説明しようと思う。 何故男同士なのか これについてはいくつか仮説が存在する。 ネガティブな理由 内面化されている社会的な女性の役割の押し付けを背景とした成熟への恐れなどの女性性への嫌悪や、セックスを恐れる未熟さが原因。 これは、「女性はこうあるべき」というシナリオに沿って生きねばならないこと、性的な「女性役」を選択の余地なく押し付けられていることを恐れているのかもしれない。 ポジティブな理由 異性同性愛は、腐女子にとって自分とは全く関係がない解放された世界である。 この世界は、他者との人間関係の中でしか自己を認識できない女性にとって、煩わしいものは一切ない。 なぜなら、女性である腐女子は、男同士の同性愛の性的場面において、第三者的立ち位置であり、全く関係がないからである。 実際に、腐女子は推しカップリングの男性に恋をするというよりは、その男性を神聖視し、己が入る余地はないものとして認識している。 (あくまでも推しカップリングの幸せを祈ることに専念し、土足で踏み入るのはNG) 腐女子が好むBL漫画の特徴 ・性的場面において、女性は登場しない ・恋愛やセックスの場面において、愛情を重視した「関係」が描かれる(これについては通常の少女漫画と同様) ・純愛モノ(腐女子はリアルでも純愛を好む傾向がある) 腐女子たちの生態 腐女子が女性「役」を脱ぐ場 SNSは匿名である上に、同じ趣味を持つ人同士が選択的につながっているため、SNSは腐女子にとって、日常で強いられた女性「役」から解放され、思う存分腐女子としてふるまえる場である。 しかし、腐女子にもそれぞれ不可侵域(地雷)が存在するため、腐女子は同じ志を持つものとつながりたいと思いながらも、手探りでかつ礼儀正しく声を掛け合って繋がっていく。 仲間の重要性 社会通念的に、異性同性愛を好む嗜好は受け入れてもらえないと言うことを理解している。 それゆえ、興奮したシーンや推しの萌える仕草について語り合えるような仲間の存在は大きい。 内外からの否定との戦い 腐女子は偏見や社会的通念的に理解されないという外部からの否定と、推しと自分は違う次元に生きていることに気づいているという内からの否定に打ち勝たねば、幸せになれない。 これは必ずしも不幸というわけではない。 腐女子は、自分の愛するものへの強い信念を持っており、そのため、内外からの否定に打ち勝つ幸福をもたらしてくれる腐女子活動を続けている。 そして、生活の充実度は、他の趣味のものと遜色ない。 偏見により「非リア」な趣味と言われているだけなのである。 なぜ、周囲の人からのこの偏見が生まれるのか。 これは、周囲の腐女子以外の趣味を持つ人が、アブノーマルであることを恐れる思考により、自分は多数派だから「健全(普通)である」と自己正当化しようとするからである。 これは言い換えると、多数派が理解できない少数派の嗜好は「不健全である」として、レッテルを貼っているようなものである。 まとめ 腐女子を全面的に受け入れろとまでは言わないが、社会には多種多様な趣味が存在し、その中には理解しがたいものも存在する。 その時に、理解しがたい所を攻撃してはならない。 攻撃し、排除する行為が、腐女子たちに、攻撃者と接するときは、攻撃者のシナリオの中で演じて生きねばならないと強制するからである。 この攻撃者が多数存在すると、腐女子たちが、多数派に強制された演者としての「役」の仮面を脱いで、ありのままの自分として生きることができる(BL嗜好をさらけ出すことができる)場は少なくなり、彼女らの幸せは奪われる。 これは何も腐女子趣味だけには限らない。 自分の大事にしている価値観を否定されるとイラっと来るのであれば、他人の価値観も傷つけない努力をしなければならないということは、よく心に刻んでおかねばならない。 参考 腐女子の社会学ー多様な世界観の共存のためにー 「腐女子」の性的自己決定について k22402.

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女性「役」を演じることに疲れた女の舞台裏は過酷すぎた件

どうも 腐 女子 です

写真 土曜夜11時30分から、新作ドラマ『腐女子うっかり、ゲイに告(コク)る。 』が放送される。 筆者は先日、試写で第一話を拝見したのだが、みずみずしい青春ドラマに仕上がっていると感じた。 主人公はゲイであることを隠している高校生・安藤純(金子大地)。 ある日、純は本屋のレジで同級生の三浦紗枝(藤野涼子)が、男性同士の恋愛を描いたBL(ボーイズラブ)マンガを買っている姿を目撃してしまう。 「腐女子バレ」を恐れた三浦は、誰にも言わないでと、純に頼む。 【参考】 物語は純の視点で進んでいく。 純にはマコト(谷原章介)というゲイのパートナーがいるが、マコトは妻子も子供もいてゲイであることを隠して日常生活を送っている。 同級生の高岡亮平(小越勇輝)とは幼なじみだが、ゲイであることは隠している。 三浦とはBLグッズの買い物に付き合ったことをきっかけに仲が良くなるが、彼女はファンタジーとしてのBLは楽しんでも、同じクラスにゲイの男の子がいるということは想像できない。 そんな三浦と純のすれ違いながら近づいていく感情が、第一話では描かれた。 原作は小説投稿サイト・カクヨムに掲載されたものを2018年に書籍化した浅原ナオトの小説『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』(KADOKAWA)。 脚本は劇団ロロの三浦直之。 昨年は『デートまで』、『それでも告白するみどりちゃん』といったインスタグラムのストーリー機能にて配信された縦長の画角を活かしたドラマ(現在はYouTubeで公開されている)や、伊藤万理華が主演を務めた単発ドラマ『ガールはフレンド』(TOKYO MX)等を手がけている。 どの作品も短編ながら、見応えのある若い作品だった。 『腐女子〜』をみて感心したのも、若者の繊細な感情を、実に丁寧に描いていたことだ。 同時に感じたのは、台詞とモノローグの繋がり方がとても心地良いということ。 劇中では純がいつも聴いているクイーンの曲がかかるのだが、台詞、モノローグ、劇伴がシームレスにつながっていて、言葉がダイレクトに届く作りとなっていた。 冬クール(1〜3月)は、ゾンビが発生した地方都市を舞台に地方で暮らす女性の鬱屈した内面を描いた、異色のドラマ『ゾンビが来たから人生見つめ直した件』(以下、『ゾンみつ』)が放送された。 前回がゾンビモノ、今回が同性愛と腐女子を題材にした青春ドラマという攻めた企画が続いており、NHKのドラマ10と並ぶ挑戦的なドラマ枠だ。 新鋭クリエイターによる若者向けの作品が続いており、『ゾンみつ』では劇団MCRの櫻井智也、『腐女子〜』では劇団ロロの三浦直之が脚本を担当。 高齢化著しいテレビドラマの世界において、独自の存在感を見せはじめている。 前作の『ゾンみつ』もそうだが、キャッチーなキーワードを並べた長くて説明的なタイトルに、SNS受けを狙ったあざとさを感じないわけでもない。 正直言うと、見る前は流行りのテーマに便乗しただけの作品ではないかと警戒していたのだが、一話を見る限り、全てのシーンは作り手が必要だと判断して配置したものだと感じた。 例えば、金子大地と谷原章介のラブシーンは生身の俳優が演じているだけあって、実写ならではの衝撃がある。 だがこのシーンはファンタジーとしてBLを楽しんでいる腐女子の三浦の現実と、肉体を持ったゲイの純の現実の違いを示す上で、絶対に必要なものだ。 映画『ボヘミアン・ラプソディ』がヒットした後だと、むずかゆく感じてしまうクイーンの楽曲も原作小説の時点で重要なアイテムとして登場しており、純の内面を代弁する音楽として、重要な役割を果たしている。 ゲイのカップルをファンタジーの住人として消費してしまう構造を内包したBLを楽しんでいる腐女子の三浦を、ゲイの純の視点から観察するように描く本作は、ある種のBL批評、腐女子批評だとも言える。 その描き方に対して、筆者は哲学的な優しさを感じたのだが、当事者である腐女子の方々がどう感じるかは、自分にはわからない。 そういったテーマ面での評価は話数が進んでから改めて考えたいのだが、現時点で本作を応援したいと感じたのは、純から見た他者はもちろんのこと、純の中にある複雑で多面的な部分がちゃんと描かれていたからだ。 この人間観は信用できると思った。 試写終了後、記者会見に出演者の金子、小越、藤野、谷原、製作総指揮の清水拓哉が登壇した。 印象的だったのは、自分が出演していない場面の純の姿を見た時にそれぞれ(小越、藤野、谷原)が(自分が見たことのない顔で別の人と話している純を見て)「ジェラシーを感じた」と語っていたこと。 これは小越の発言に後の二人が被せて面白くしていた面もあるのだが、一人の人間の中にある多面性を描いた本作の本質を突いた見事な回答だったと思う。 (成馬零一).

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