安心院 殺人 事件。 トラブルか強盗!?大分県宇佐市安心院町荘で山名高子さん親子が倒れているのが発見される。犯人の名前や顔画像は?

全焼した空き家の車庫から女性遺体 殺人事件とみて捜査:朝日新聞デジタル

安心院 殺人 事件

あらすじ [ ] 終戦後の困窮の中、三津木俊助は探偵小説の執筆依頼を受けたが、構想を決められずにいた。 弱りきった三津木は由利麟太郎宅を訪れ、かつて二人が関わった事件を元にした小説を書く許しを求めた。 由利から資料や助言を得た三津木は、「蝶々殺人事件」と題した探偵小説を書き始める…… 時は昭和12年()10月19日、前日『』の東京公演を終えた原さくら歌劇団一行は、大阪公演の初日を迎えるため、2組に分かれて大阪に移動した。 歌劇団を主宰する歌手の原さくらは夜行列車ではのどに良くないとの理由から、さくらの夫の原聡一郎とさくらの弟子での相良千恵子との2人が同行して、一足早く19日の午前中東京発の列車に乗って、その日の夜に大阪入りしホテルに泊まり、他のメンバーは19日の夜行列車に乗車して20日の朝に大阪着、ホテルにいったん入ったあと公演会場であるに集合する段取りだった。 そのため、さくらのマネージャーの土屋恭三は18日の夜行列車で先発して大阪入りして、大阪でのホテルの手配や後援者への挨拶回りをしていた。 ところが、19日の夜8時に大阪に着いたさくらはホテルにチェックインした後、外出したまま行方をくらましてしまう。 20日朝、第2班の一行が大阪に着き、その中には出発を遅らせた聡一郎もいた。 土屋は聡一郎に事情を話して、とりあえず一行はホテルに入り、その後公演場所に向かった。 2時から稽古を始める予定だが、1時50分になってもさくらは姿を見せず、そのとき担当の川田が、東京からで送ったはずのコントラバスが届いていないと騒ぎ出した。 荷物を受け取ってきた土屋の助手の雨宮順平とやり取りをしている最中に、楽屋の入口にコントラバスのケースが立てかけてあるのが見つかったので、さっそく楽屋に運び入れたが、ケースを受け取ろうとした川田が予想外の重さによろめき、受け止めそこなったケースが床に倒れた。 川田があわててケースを開くと、中に入っていたのはコントラバスではなく、バラの花弁に覆われたさくらの死体であった。 さらにさくらのハンドバッグから真珠の首飾りが紛失しており、代わりに読めない楽譜が1枚入っていた。 読めない楽譜にまつわる事件として、5月に流行歌手の藤本章二が読めない楽譜を握ったまま殺されている。 藤本は、歌劇団一行の歌手、志賀笛人の元弟子であった。 しかし、さくら殺しと藤本殺しとの関連は不明であった。 一方、相良を追及したところ、東京駅での小野竜彦からバラの花束を贈られた際に楽譜が落ち、その楽譜を読んださくらは急にで下車して東京に引き返したという。 実は、大阪のホテルにチェックインしたのは、さくらの指示で彼女に変装した相良であった。 さくら殺害現場についてはの曙アパートの一室が浮かび上がった。 タクシーの運転手がコントラバス・ケースを乗せたのがこのアパートで、その部屋にコントラバスが置いてあるのが見つかった。 さらに破れた砂嚢が転がっており、砂がいっぱい散らばっていた。 さくらは絞殺されたのだが、その前に鈍器で頭を殴られており、死体には砂がいっぱい付着していた。 これらのことから、この部屋でさくらは砂嚢で殴られて昏倒したあと絞殺されて、死体はコントラバス・ケースに入れられて運び出されたものと思われた。 ところが、聡一郎から事件の依頼を受けて大阪に駆け付けた由利と新日報社の三津木が、大阪府警の浅原警部たちと曙アパートに向かうと、そこで新事実が判明する。 さくらは19日の夜に殺害されたことが判明しているが、問題の砂嚢はアパートに備え付けのもので、20日の朝には部屋のドアの前にあったのである。 さらに、別のタクシーの運転手が、 横でトランクを乗せてこの部屋に運び込んだことも判明した。 そのトランクも非常に重いものであったという。 つまり、さくらの死体はトランクでこの部屋に運び込まれ、そこでコントラバス・ケースに詰め替えられた、そして転がっている砂嚢や散らばっている砂は、この部屋が殺害現場であると偽装するために使用されたものであったと思われた。 由利は、楽譜の暗号を「危険、途中より引き返し、下のアパートまで来たれ」と解読した。 一方、品川駅で列車を降りたさくらは愛宕下のアパートに向かったものと思われた。 さらに、20日の朝トランクを部屋に運び込んだタクシーの運転手が見つかり、その証言でトランクは大阪駅から運ばれたものであることが分かった。 さらにチッキ係の控えを調べたところ、東京駅から受取人を土屋恭三として発送されていることも判明した。 それで愛宕下のアパートを調べるために、由利と三津木は東京に戻った。 愛宕下のアパート「清風荘」の一室はさくらが本名の原清子名義で借りていたもので、由利たちと新日報社の三津木の同僚の五井が警視庁の等々力警部の案内で乗り込むと、そこで藤本章二の写真を見つける。 同じ額縁の中には赤ん坊の写真も挟んであった。 そこで、さくらは藤本の生みの母ではないかとの疑惑が生じた。 そして、さくらが品川駅から引き返した証拠の品として、小野から贈られた花束から落ちたと思われるバラの花弁が見つかった。 さらに、寝イスの下にはき寄せられたひとかたまりの砂の山を見つけるに及んで、この部屋が殺害現場に間違いないと思われた。 管理人と近隣の住人の証言で、さくらがその部屋を借りたのは藤本の死後の6月であること、その部屋にときどき若い男が出入りしていること、1度その男が玄関から出て行ったあとから小野がさくらを支えて出て行ったことがあることなどが判明した。 さらにその若い男の服装は、上着の折り返しが色変わりになったを着て細身のをかいこんでおり、をまぶかにかぶり青めがねをかけ、マフラーで顔をかくしているというものであった。 ところが五井がその男と1時間以上前に清風荘の前で出会ったという。 その話を聞くに及んで由利は三津木に、原さくら歌劇団の中でホテルからいなくなったものがいないか大至急調べるように言い、三津木がそれを調べさせるために社に電話すると、編集長から相良の姿が見えないこととともに、雨宮が殺されたことを聞かされた。 知らせを聞いた由利と三津木は、再度大阪に急ぎ戻る。 登場人物 [ ] 由利 麟太郎(ゆり りんたろう) 警視庁の元捜査課長。 三津木 俊助(みつぎ しゅんすけ) 新日報社の記者。 浅原警部(あさはら) 大阪府警の警部。 等々力警部(とどろき) 警視庁の警部。 原さくら歌劇団 [ ] 原 さくら(はら さくら) 本名は原清子。 主宰者で歌手。 原 総一郎(はら そういちろう) さくらの夫。 資産家。 牧野 謙三(まきの けんぞう)。 相良 千恵子(さがら ちえこ) さくらの弟子。 小野 龍彦(おの たつひこ) 歌手。 志賀 笛人(しが てきじん) 歌手。 川田(かわた) 奏者。 蓮見(はすみ) 奏者。 土屋 恭三(つちや きょうぞう)。 雨宮 順平(あまみや じゅんぺい) アシスタント・マネージャー。 その他 [ ] 藤本 章二(ふじもと しょうじ) 志賀笛人の元弟子。 5月に殺された。 佐伯 淳吉(さえき じゅんきち)。 五井(いつい) 新日報社の記者。 概要 [ ] 横溝正史による解説 [ ] 本作は、昭和21年()初頭に創刊された探偵小説雑誌『』の第3号から第10号まで、8回にわたり連載された探偵小説である。 横溝によると、昭和21年3月初めから想を練り始め、4月15日に第一回を脱稿。 完結編脱稿が昭和22年2月10日のことで、約1年を費やした作品である。 横溝はこれと並行して同じ探偵小説雑誌『』の創刊号からやはり8回連載で『』を書いている。 横溝は戦後、「出来るだけ論理的な探偵小説を」と志向し、この二作でこれに取り組んだというが、「果して、自分が意気込んだほど、論理的な探偵小説になっているか、いささか自分としても心許ない」と吐露している。 この小説は誌上で「犯人探しの懸賞付き」という趣向となったため、「自縄自縛におちいったかたちで、途中の苦しみはたいへんであった」という。 ことに苦しんだのは枚数だった。 『ロック』の山崎編集長の当初の申し込みは「一回四十枚、六回続き」というものだったが、「いくら書いていっても終わりにならないので、ついに予定より二回伸ばしてもらい、その二回だけで百八十枚という長さになってしまった」そうで、横溝は「近頃のような頁数の少い雑誌で、よくもここまでわがままを通させてくれたものだと、私はふかく山崎君に感謝している」と振り返っている。 横溝は当時岡山県の田舎に疎開していたが、昭和20年()の秋に石川淳一という同じ神戸出身の青年がこの村に復員してきた。 石川青年は音楽学校声楽科の生徒で、一家が横溝の近所に疎開していたため、こちらへ復員してきたのだった。 石川青年は以前より横溝小説のファンで、よく横溝の家に遊びに来ていた。 あるとき、この石川青年が「の小説に、死体をの中へ隠すところがありますね。 あれは小説としては面白いけれど、われわれ専門家から見ると、やはり変ですね。 ピアノの中には絶対に人はかくせませんよ。 」と言った。 横溝はこれに、「それはそうでしょうけれど、読者は専門家ばかりじゃありませんから、一応面白ければそれでいいのじゃありませんか。 作家というものは、同じ死体をかくすにしても、なるべく風変わりなものを狙うものです。 トランクだの長持じゃ、読者がもう食傷していますからね。 特に、音楽の方で、ピアノ以外に、何か面白い死体のかくし場所はありませんか。 」と返したところ、石川青年はにわかに膝を乗り出し、「私は一度コントラバス・ケースに入ってみたことがあるんですが、きれいに立って入れるんです。 探偵作家がどうしてあれを利用しないのか、やはりご存じないんでしょうね。 」と答えるのだった。 横溝はこの話を面白いとは思ったが、その時はまだ小説の材料にするとまでは思いつかなかったという。 それから間もなく、『ロック』の山崎編集長から6回ものの長編依頼があった。 もともとが同誌第3号から新連載『悪霊』を執筆する予定であったのだが、1946年2月10日に小栗が急死したため、ピンチヒッターが必要になったからである。 横溝はほかに同じ6回ものの『本陣』の連載を抱えていたので、よほど断ろうかと思ったが、依頼文に小栗虫太郎急逝に途方に暮れている、その穴埋めにぜひ書いてくれとの一句があり、これが横溝の胸を刺し貫いた。 横溝は昭和8年()に、『』7月号の締切間近に喀血して、小栗にこれを穴埋めしてもらっていた からであり、昭和16年()ごろにふたりでおでん屋で飲んだ時に、横溝は「今度お前さんが病気をするようなことがあったら、私がかわって書いてあげる」と小栗に約束していたのである。 こういったいきさつで、横溝は「これはどうしても書かねばならぬ」と決心したという。 そこで横溝は件の石川青年に、「この間お話しのコントラバスのアイディヤ貰い受けたし、なお、いろいろ御教示にあずかりたいこともあるから、おひまの節御来訪賜りたい」とハガキを出して、の『』を読み返しながら筋のまとめにかかった。 腹案がまとまってきたころに石川青年がやってきて、音楽上の助言を与えてくれた上に、ふと戦争中イタリヤの楽壇で『』を演じた時のエピソードを話してくれたので、これで筋を仕上げた横溝は山崎編集長に長編依頼受諾の返事を書いたという。 横溝は「そのときの私の気持ちでは小栗君の弔い合戦のつもりであった。 それだけにがっちりとしたもの、堂々としたもの、そしてまた、戦後の自分の方針であるところの、論理的な本格ものを書きたかったのである。 少くとも、小栗君のピンチヒッターとして恥ずかしくない程度のものにしたかったのである。 」と、この作品における意気込みを語り、あわせて石川氏に賛辞を送っている。 横溝らしい怪奇色がほとんど見られないが、そのぶんスマートなストーリーテリングと謎解きの妙味で勝負しており、は横溝を世界のベストファイブ級の才能と絶賛する一文でこの作を筆頭に挙げている。 本作は探偵・が活躍する戦後初の長編作品であるとともに、由利先生(由利の通称)の出番が消えていく時期の作品でもある。 『本陣殺人事件』で新しい探偵としてを創造したため、戦後は由利先生と三津木俊助のコンビを登用するつもりはなかった。 しかし、前述のとおり『本陣』と本作を同時執筆することになったため、これを機会に由利先生を再登場させるとともに本作を由利先生の最後の作品にしてみたらと思いついた。 なお、後に金田一ものに頻出する等々力警部が本作にもほぼ同じ役回りで登場する。 収録本 [ ]• 『蝶々殺人事件:他一篇』(日本探偵小説全集)、春陽堂書店、1953. 『横溝正史集』(探偵小説名作全集4)、河出書房、1956. 『蝶々殺人事件』、春陽堂書店(春陽文庫)、1959. 『蝶々殺人事件』:他二編, 角川書店 (角川文庫)、1973. 『本陣殺人事件』(横溝正史全集5)、講談社、1975. 『本陣殺人事件; 蝶々殺人事件』(横溝正史自選集1)、出版芸術社、2006. 12、• 2、 映画 [ ] 『』(12月23日公開) 製作・配給。 監督、脚本、構成補導。 横溝によれば、大映は当初、本作と並行して連載されていた『本陣殺人事件』の映画化を江戸川乱歩を通じて打診してきたが、『本陣』の連載完結後に中止を申し入れ、代わって本作の映画化を提案してきたという。 また、題名が『蝶々失踪事件』に変更されたのは、の干渉によるものという。 テレビドラマ [ ] 1998年版 [ ] 1998年12月5日にテレビ朝日ので『名探偵由利麟太郎 蝶々殺人事件』として映像化。 主要登場人物の氏名や属性の多くを原作から踏襲しており、コントラバスケース内の死体、楽譜の暗号、被害者の落下など原作の特徴的な状況もいくつか踏襲されている。 しかし、被害者が原作と全く異なり、犯人は原作通りだが動機が異なり、犯行現場が東京か大阪か判らず関係者が大移動を重ねる設定が無いなど、ストーリー展開は原作から大きく変えている。 由利の現職は城南大学の講師、由利の助手である新聞記者(原作の三津木俊助)は三津木恵美という女性である。 原作の志賀笛人に代えて志賀亜弓という女性歌手が登場し、最初に殺害される。 原総一郎はさくらの夫であるだけでなく劇団のオーナーであり、2番目に殺害される。 原作の佐伯淳吉は先代プリマドンナ・佐伯麗子に代えられて事件以前に自殺している設定であり、麗子の親友だった森川久美子が登場する。 キャスト(1998年版) [ ]• 由利麟太郎 -• 三津木恵美 -• 原さくら -• 相良千恵子 -• 土屋恭三 -• 牧野謙三 -• 森川久美子 -• 小野竜彦 -• 志賀亜弓 -• 原総一郎 -• 等々力警部 - スタッフ(1998年版) [ ]• 原作 - 横溝正史• プロデューサー - 松本基弘(テレビ朝日)、井口喜一(共同テレビ)• 脚本 -• 音楽 -• 企画協力 -• 監督 -• 制作著作 - テレビ朝日、共同テレビ 2020年版 [ ] からまで制作・系の「」で放送予定の『』(全5回)の第4話、第5話の前後編で映像化される。 原作の時代背景は戦前のであるが、本作では舞台がに置き換えられるなどの変更がなされている。 キャスト(2020年版) [ ]• 由利麟太郎 -• 三津木俊助 -• 原さくら -• 原聡一郎 -• 土屋恭蔵 -• 相良千恵子 -• 小野竜彦 -• 雨宮順平 -• 浅原警部 -• 等々力警部 - スタッフ(2020年版) [ ]• 原作 - 横溝正史• 演出・プロデュース - 木村弥寿彦(カンテレ)• プロデューサー - 萩原崇(カンテレ)、森井敦、福島一貴()• 制作著作 - 備考 [ ]• では由利ではなく、金田一が事件を解決したことになっている。 脚注 [ ]• 当時の大阪には、に三越百貨店があった。 『』のこと。 このとき掲載されたのが、小栗の実質的な作家デビュー作『』である。 『蝶々殺人事件』あとがき(昭和22年5月、「桜の寓居にて」)。 『新版横溝正史全集18 探偵小説昔話』(講談社)や『由利・三津木探偵小説集成4 蝶々殺人事件』(柏書房 )にも収録されている。 『 真説 金田一耕助』(横溝正史著・、)の「わたしのベスト10」には本作が入っていないが、「金田一耕助物という範疇にこだわらなければ、もちろんこの作品も入れたいと思っている」と記している。 『横溝正史選集 4 犬神家の一族』()所収のによる巻末解説参照。 『金田一耕助のモノローグ』(横溝正史著・、)81ページ参照。 - 日本映画情報システム• 『真説 金田一耕助』 〈〉、1979年1月5日、121-123頁。 関連項目 [ ]•

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平成に起きた未成年による凄惨な殺人事件、死刑執行された事件も

安心院 殺人 事件

Contents• 最新の報道について! 事件の最新情報はOAB大分朝日放送で報道されました。 報道内容は以下の通りになります。 安心院町親子殺人事件で、現場に残された土の付いた足跡が数種類あることが分かりました。 警察は複数犯による犯行の可能性もあるとみています。 2月3日、宇佐市安心院町の住宅で、この家に2人で住む山名高子 79 さんと長男の博之さん 51 が遺体で見つかりました。 2人には上半身を中心に10カ所以上の切り傷や刺し傷があったということです。 捜査関係者によると、現場には土の付いた数種類の足跡が残されていたことが分かりました。 室内に荒らされた形跡はなく、2人の財布と携帯電話も残っていました。 警察は複数犯の可能性も視野に、通話記録や事件の当日、現場付近を通った車のドライブレコーダーの映像を解析するなどして捜査を進めています。 yahoo. 事件当初の様子については別記事で書いてありますので、確認ください。 大分県宇佐市安心院町荘で親子2人が殺害された事件で、県警は5日、捜査本部を設置し、本格的な捜査に乗り出した。 — 松本 徹 TooruMtsumoto 名前:山名博之 年齢:51歳 職業:郵便配達員 住所:大分県宇佐市安心院町 顔画像についても公表がありました。 yahoo. 被害者の情報が出てきています。 近所の人の話では恨まれるような人ではなかったとの事です。 山名さん方に近い公民館では月2回、10人程度が集まり、高子さんも体操などをして交流を深めていた。 近くの女性(77)は輪投げが入った時に無邪気に喜ぶ高子さんの姿を覚えている。 「『私が死んだら息子が1人で農作業できるだろうか』と言っていたのが印象深い」。 別の70代女性は「交流会でまた会おうね、と別れたのが最後。 まさかこんなことになるなんて…」と言葉少なに話した。 犯人の情報は? 今回の事件ではのどかな町だった事もあり防犯カメラは付近にはないようです。 警察の捜査ではドライブレコーダーの映像などを解析中との事で、犯人に繋がる有力な手掛かりはまだ出ていません。 犯行時刻がある程度わかっていて、夕方には2人は生存している事が確認されています。 発見は朝になりますので、この間に襲われたとみられています。 また屋内の暖房器具や一部の照明はついたままだった事から警察では就寝前に襲われたとみているようです。 侵入経路については無施錠だった1階掃き出し窓付近の室内から靴跡が見つかっている事からここから犯人は侵入し殺害したものと見られています。 ネットの反応は? ネットではどのような事が言われているのでしょうか?.

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平成に起きた未成年による凄惨な殺人事件、死刑執行された事件も

安心院 殺人 事件

福岡県北九州市で7人が監禁・殺害された事件。 日本史上稀に見る残酷な事件が2002年に発覚したきっかけは、当時17歳の少女が監禁先から逃げ出し、警察に通報したことからだった。 初めは1人の少女の監禁事件として考えられていたが、真実が明らかになるにつれ、その凄惨さに世間は震撼することとなった。 犯人は松永太死刑囚と緒方純子受刑者の2人。 どちらも当時40歳だった。 詐欺と脅迫容疑で指名手配されて逃亡を続けてきた2人は、どのように監禁・殺害事件を起こしたのか。 (2人の出会いや事件が起きるまでの概要はこちらから) そして始まる殺人事件 金に困った2人が目をつけたのは、逃亡中にマンションを仲介してくれた男性だった。 松永死刑囚は偽名を使って一流メーカーで働く優秀なエンジニアを演じ、投資話を持ちかけた。 それに男性は取り込まれた。 松永死刑囚は、男性の妻に対する不満などを聞いては煽り、別居させ、過去に犯した悪事などを書面にするなどして弱みを握った。 男性は当時8歳の娘を連れ、彼らと共同生活をはじめるようになる。 この娘は17歳になり逃走するまで、9年間を2人と過ごすこととなる。 体をペンチでつねる、殴る、剣道のそんきょの姿勢や長時間の起立。 食事はラードを乗せた白米のみで、浴室に閉じ込め、真冬に冷水のシャワー、睡眠時間の制限などありとあらゆる虐待を加えた。 そしてその虐待は当時8歳だった男性の娘にも行われた。 男性と娘は虐待に次ぐ虐待で、松永死刑囚のマインドコントロール下に置かれ、口止め料・慰謝料・娘の養育費などと様々な名目で、多額の金を要求されるようになる。 男性は消費者金融や親、知人などから借金して金を渡し、その総額は少なくとも1083万円にのぼった。 虐待を続けられた男性は次第に衰弱し、共同生活をはじめて1年4か月後、1996年に死亡した。 享年34歳だった。 松永死刑囚は緒方受刑者に、遺体をバラバラに解体させ、刻んで捨てさせた。 この行為について松永死刑囚は「私は解体の構成に関わり、プロデュースしました。 設計士がビルを建てるのと同じですよ。 私の解体方法はオリジナルです。 魚料理の本を読み、応用し、佃煮をつくる要領でやりました」と語っている。 事件があった部屋 家族をマインドコントロールし、殺害させあう 男性を殺害する前、松永死刑囚は男性の知人の妻を結婚詐欺にかけ、男性と同様に監禁し、金を奪って虐待をしていた。 男性が殺害され、知人の妻が逃走した後は、緒方受刑者の母親からの送金で暮らしていた。 しかし、その送金が1500万円を超える頃、母親の蓄えが底をつき、送金がなくなった。 松永死刑囚は緒方受刑者に資金作りを要求したところ、緒方受刑者は内緒で湯布院で働きに出た。 それに対して松永死刑囚が逃げたと思い込んで激昂し、緒方受刑者の家族が巻き込まれることとなる。 松永死刑囚は緒方受刑者の家族に芝居をさせ、緒方受刑者を呼び戻した。 両親と妹が、まず頻繁に松永死刑囚からマンションに呼び出され金策などを話し合わされるようになった。 さらに、元警察官だった妹の夫まで松永に取り込まれ、妹夫妻の娘と息子も含めた同居生活が始まってしまう。 松永太死刑囚 松永死刑囚は妹の夫にわざわざ不満を言わせ、暴力を振るわせた。 家族に対しては、緒方受刑者の犯行に加担したとの負い目を感じさせるために、男性を殺害して処理した台所の配管などの取り替えをさせたりした。 また、独自のルールを決め、家族全員をマインドコントロール下に置いていった。 そのルールとは、松永死刑囚が指示するときだけとれる1日1回の食事。 水も松永死刑囚が許したときだけ、緒方受刑者が準備して飲むことができた。 ご飯の内容は炊事がいらないという理由から、ほとんど食パンか菓子パン。 排泄や睡眠も松永死刑囚が支配し、自由な行動や会話は許されず、一日中無言のまま足がむくむほど立たされたこともあったという。 もちろん知人や仕事先などとの連絡は一切断たせた。 また、家族一人一人に「ランク付け」をして、その時々によってランク付けを変えることで、お互いに敵対心を生まれさせた。 緒方受刑者は「父は『もうこうなったら松永さんにぶら下がって生きていくしかありません』と話していたことを覚えています」と裁判で語っている。 緒方純子受刑者 そして松永死刑囚は、ついに緒方家の命を奪っていく。 それも、自らの手は汚さずに。 緒方一家は松永死刑囚の指示で父親の遺体をバラバラに解体。 これにより、一家にさらなる弱みを負わせた。 松永死刑囚は緒方受刑者に母親を浴室に閉じ込めさせた上、「困るのはお前たちだろう」と妹夫婦に問いかけた。 「よくなるかもしれないから、もう少し様子を見ましょう」などの提案には耳を貸さず、各々に役割分担を指示し、殺害させた。 そして、それまでと同様に、遺体は解体され、捨てられた。 今度は肉体的、精神的なストレスから妹の耳が聞こえにくくなり、松永死刑囚の指示によって夫の手で絞殺された。 その後、妹の夫が通電などの虐待によって死亡、甥と姪も殺害された。 罪を認めない松永死刑囚 緒方受刑者の家族が全員殺害されたのち、およそ4年たってから、1人目の被害者の娘がマンションから逃げ出したことで事件は発覚する。 2005年9月28日、福岡地方裁判所小倉支部で行われた一審判決で死刑が2人に言い渡された。 緒方受刑者は罪を認めたが、松永死刑囚は法廷で「控訴だ」と叫んだという。 2007年9月26日に行われた二審で、緒方受刑者については「松永死刑囚の暴力に支配され犯行への関与も従属的だった」として一審の死刑判決を破棄し、異例の減刑となる無期懲役を言い渡された。 松永死刑囚は、2011年12月12日、最高裁での上告は棄却となり死刑が確定した。 (2人の出会いや事件が起きるまでの概要はこちら 二人の息子は今どう感じているのか フジテレビ(首都圏エリア)で10月15日(日)と22日(日)の2週にわたって放送した『ザ・ノンフィクション 人殺しの息子と呼ばれて…』。 北九州連続監禁殺人事件の犯人である松永太死刑囚と緒方純子受刑者の間に生まれ、「人殺しの息子」と呼ばれながら生きてきた息子(24)が、初めてメディアのインタビューを受けたもので、自身の怒りや悲しみ、そして苦悩の日々などを激白した。 反響が大きかったため、12月15日に全国放送される。 今回は、10月に放送した内容だけでなく、放送後、再度息子に敢行したインタビュー、母・緒方純子受刑者による未公開の手紙などの内容を加えて、再編集した形で放送される。 「ザ・ノンフィクションSP 人殺しの息子と呼ばれて・・・」 放送日時:12月15日(金)21:00~22:52 放送.

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