童貞 を プロデュース。 性的シーン強要か「やるまで終わらねぇぞ」——出演者が暴露で上映が中止に。『童貞。をプロデュース』舞台挨拶騒動を吉田豪らが語る

『童貞。をプロデュース』暴行騒動で上映中止 出演者“性的シーン強要”訴えに、監督&配給「事実無根」

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1 8月25日に実施された『童貞。 をプロデュース』10周年記念上映舞台あいさつの際、出演者の一人であった加賀賢三さんが、 「松江哲明監督に性的シーンの出演を強要された」と述べた後、壇上で下半身を露わにし、暴力行為におよんだ。 上記の騒動を受けて、9月9日放送の『』にて、 吉田豪さんと 久田将義さん、 Kダブシャインさんがコメント。 「 パワハラでもあり、昨今のAVの出演強要に近い問題ではないか」と打ち出し、騒動が発生した経緯と問題点について語りました。 松江哲明さん。 画像は より。 吉田: これ、結構衝撃的な動画がネットに上がっていましたね。 童貞の二人のドキュメンタリーのような映画があって、その中でちょっとハードないじりをされていて、その童貞の人が 「AV女優は気持ち悪い」とか言っているのに、AVの現場に連れて行かれて、本人が嫌がっているのにフェラチオされる、みたいな流れがあったんですよ。 Kダブ: パワハラですね。 吉田: パワハラでもあるし、今にしてみれば、AVの出演強要問題に近いんじゃないかとか言われているんですけど。 それがいろいろ不本意だったんだけど、小さな規模で上映される作品だったんですよ。 本人も当時、ギャラももらっていなくて、それだけだったらいいかと思ったら、意外と評判を呼んじゃって、何年も各地で上映され続けて。 Kダブ: 10周年だもんね。 吉田: なおかつ、その過程で揉めたせいで、許可を得ることもなくどんどん上映がされることとなり、10周年で久しぶりに上映後に話すことになって、そこで脱いでしまって。 映画の上映中止を伝える松江哲明監督のツイート。 画像は本人 より。 Kダブ: これ、怒っている理由は何? 操を返せ、ってことですか? 吉田: 操なわけじゃないんですけどね(笑)。 当時、出演者さんがひどい目にあった時と同じ状況で、監督に対して「面白ければいいということであなたはやったけれども、これだったら面白いでしょ、フェラチオしなよ」と言って、監督が「絶対に嫌です」というような押し問答を、ずっとフリチンのまま続ける、ということになって。 久田: それを舞台あいさつでやっているんですよ。 それが動画で上がっているという話ですね。 吉田: 松江さんはずっと「ここでは話せない」とか、「やらない」みたいな感じで。 その後も「あれは暴力であり、1週間の怪我を負った」みたいな、そういう感じの戦い方に出てしまって、今は松江監督側が評判を落としている。 Kダブ: パワハラですよね。 久田: そう、そういうことですよね。

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f/22編集部より『童貞。をプロデュース』問題について経緯説明および松江哲明氏への抗議声明 — f/22

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近頃、映画『童貞。 をプロデュース』を巡るセクハラ、パワハラについて考えています。 2007年に公開されたこのドキュメンタリー映画に出演していた加賀賢三氏が「撮影中、性行為を強要された」と被害を訴えています。 撮影中、羽交い締めにされ、AV女優に口淫され、その様子は、映画として本編にも使われてます。 2017年、池袋シネマ・ロサで行われた10周年記念上映の舞台挨拶で、加賀氏は、性行為の強要について、監督の松江哲明氏に謝罪を求めました。 松江監督と配給会社は、謝罪声明を公式サイトに掲載したものの、加賀氏は公の場での対話と謝罪を求めてます。 ぼく自身、スコットランドの大学院でドキュメンタリー映画を学んでいますが、この作品を観たこともなく、加賀氏も松江氏も知りませんでした。 正直、日本の映画業界についても何も知りません。 が、ある日、Twitterで加賀氏のインタビューを掲載したガジェット通信の記事を見つけ、この問題を知るに至りました。 問題の本質は、性被害にあった被害者が、加害者との対話を求めていることですが、それに加え、加害行為の様子が映画として公の場で上映され続けてきたことは、多くの性被害のケースと違うと言えます。 『童貞。 をプロデュース』を取り巻くインタビュー記事、ニュース記事、Twitterでのポスト等を見ていく中で、考えさせられるものがあったため、この文章を書きはじめました。 まず、松江氏の謝罪表明は加賀氏の許しを得るには十分でなく、松江氏は加賀氏が納得する形で謝罪と対話をするべきだと、ぼくは考えています。 その上で、「自分自身の加害性」と「許しについて」書き留めておこうと思います。 自分自身の加害性について インタビュー記事を読んで感じたのは、被害者である加賀氏の怒りです。 その怒りは、松江氏のみならず、この事件を黙殺し続けてきた映画業界全体にも向けられていました。 記事を読み、この件について調べ始めてすぐは、加害者である松江氏に「あの人は、ひどいやつだ。 すぐに公の場で謝罪しろ。 」とは、強く言い切れない自分がいました。 加害者を人間ではないかのごとく非難するコメントを見ると、この人たちは、自分が被害者にしかなり得ないと思っているのだろうか、と感じたりしていました。 ぼくは、すべての人間が被害者にも加害者にもなりうると思っています。 誰もが、人を傷つけて生きているだろうし、心の中に加害性を持っている。 ぼくも自分自身の中にある加害性、誰かを傷つける可能性を否定できません。 映画を撮る中で、誰かを傷つけているかもしれない。 映画から離れても、自分は人を傷つけて生きてきているだろうし、心の中に加害性を持っていることを否定できないし、するべきではないと思っています。 そして、松江氏のエゴについても理解できてしまう。 公の場での対話を求められて、それは、きっと恐ろしいだろう。 被害者が抱えてきた苦痛を棚に上げて逃げたい、そんなエゴが想像できました。 今、ぼくが、この文章を書けているのも、自分のことではないからではないのか。 自分が松江氏の立場だったら、真摯に向き合うことができるだろうか。 松江氏を批判することは、自分自身へ批判を突き立てることでもあると思うのです。 そんなぼくの小さな器の中での葛藤があった上で、この問題に言及させてもらうと、やはり、松江氏と関係者には、加賀氏が納得するまで謝罪、対話をして欲しいです。 それは、被害者が望んでいることであり、そして、その先に被害者と加害者の両者に救いがあるのではないでしょうか。 なぜなら、被害者である加賀氏は加害者である松江氏を許そうとしていると思うのです。 松江氏と関係者へ向けた、この一言が、非常に印象に残っています。 人を許すとはどういうことだろうか。 それは、和解とも、もちろん忘却とも違います。 許しは、多くの違う面を持っています。 被害者からの許し、社会からの許し、自分自身、ときに宗教的な赦しも関わってくるでしょう。 しかし、被害者-加害者間の許しについて考えるとき、対話こそが、そこにたどり着く唯一の方法なのではないかと思うのです。 今年、短編映画のリサーチをする中で、Restrictive Justice RJ という考えを知りました。 RJ とは、ある特定の加害行為 offence に対して、利害関係を有するすべての関係者が、その侵害行為によって被った影響及びそれによって将来予想し得る影響といったものを、どのように処理するか、共同で解決策を見いだすために一堂に会するプログラムのことである。 (Marshall, 1999, cited in Ogasawara, 2012) つまり、被害者が加害者と対話する機会を持てず、その事件から被害者が解放されないという状況を解決するため、対話の場をもつプログラムです。 司法の場では、たとえ法的に加害者が罰せられたとしても、被害者が加害者と対話する機会を奪われることで、結果的に被害者が救われない、ということがしばしば起こるそうです。 今回のケースでも、この考えは当てはまると思います。 被害者-加害者間の許しを考えるとき、対話によって被害者がその出来事から解放されるべきです。 これは、和解とも忘却とも違い、建設的に将来の支援、謝罪、再犯防止を話し合うことだと思います。 これにより、被害者はその出来事から解放され、加害者も被害者からの許しを得ることで前に進めます。 たとえ、この対話が被害者のためにあるといえど、本来、被害者に対話を強制してはいけないし、許しを強制することはできません。 しかし、今回の『童貞。 をプロデュース』の件では、被害者である加賀氏は、自ら対話を求め、許しを示唆しています。 建設的な謝罪と対話の場を求めているのだと感じました。 この対話は必ずしも公の場でおこなわれる必要はないのかもしれませんが、そこで建設的に話し合われた結果は適切な形で公にすることが、加賀氏を支援することに繋がるのではないかと考えます。 なぜなら、今回のケースで加賀氏は、公の場で被害の様子を晒され、問題が閉じられた関係者の中では収まっていないから。 関係者が集まり、さらに、加賀氏がそこで責められることがないよう、立会人をつけた上で、(もしその方がより良い案ならば公の場での)対話がおこなわれることを願います。 そして、もし被害者からの許しを得られたとしても、自分自身を許せないという気持ち、社会からの批判は残ると思います。 完全に許され、解放されるということはないのかもしれません。 しかし、最後に触れておきたいのは、批判と人権侵害は全く別だということです。 また、加害者への報復と被害者の救済は別のものだということ。 以上、自らへのいましめも込めて。 引用:Ogasawara, K. 2012. 赦しについての哲学的研究 修復的司法の視点から. 現代生命哲学研究. 25-45.

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「童貞。をプロデュースの現実」vs.「加賀賢三氏の現実」はあり得ない

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その後、松江監督と直井氏は連名の文書で加賀氏の主張を否定。 しかし、昨年12月、加賀氏がこれまでの一連について語ったインタビュー記事がネット上に掲載され、騒動が再燃した。 松江監督は「最近の加賀さんのインタビューを読んで、私が製作した『童貞。 をプロデュース』の撮影、その後の上映を強引に進めてしまっていたことを改めて実感しました。 加賀さんの気持ちを無視して、作品の完成、展開を優先してしまったことを、深く反省しています。 申し訳ありませんでした」と謝罪。 監督の謝罪を受け、直井氏も「2017年8月31日に松江監督と本作品の配給である弊社の連名で出した公式声明において、事実と異なる内容を発信してしまっていたことを厳粛に受け止め、心よりお詫び申し上げます」と声明を出していたが、今回あらためて経緯の説明と謝罪をするに至った。 直井卓俊氏のコメント全文 この度は、弊社の配給作品・映画『童貞。 をプロデュース』(2007年公開)、それにまつわる、その後の様々な出来事について、皆様に不快な思いをさせてしまい申し訳ありません。 昨年末に加賀賢三くんとお会いし、対話をさせていただきました。 配給会社の立場として、改めまして経緯の説明とお詫びを記させて頂きます。 (「加賀さん」「加賀氏」という呼び名がどうも慣れず、文中では自分の中で一番しっくりくる「加賀くん」と言う呼び方で書かせていただきます。 ) まず、僕が『童貞。 をプロデュース』に最初に出会ったのは、一観客としてでした。 アップリンクを辞め、フリーランスとして SPOTTED PRODUCTIONS を屋号として名乗り始めた頃で、加賀くんが出演した「パート1」が完成・上映されていた、第1回ガンダーラ映画祭でのギャラリーを使った特設の小さなスクリーンで上映されていた時です。 誤解を恐れずに言えば、当時、一観客の僕には劇中の加賀くんのとてもピュアで魅力的な姿に心を打たれ、同時代性に優れたポップで素晴らしい青春映画だと感じ、打ち上げの席で松江監督に声をかけました。 当時はDVD化できる企画を探したりセールスの仕事をしたりしていた頃で、いつか可能性があればご一緒できたらいいですね、と言う半ば挨拶程度の会話だったと思います。 [PR] 翌年、縁がありまして、第2回ガンダーラ映画祭に向けて新たに梅澤嘉朗くんが主演の「パート2」が撮影されるにあたり、ロケ地の交渉(劇中登場するシネマ・ロサ)などでお手伝いをさせて頂きました。 「パート2」はゴミ処理場で働きながらブックオフ巡りに燃え、時空を超えて古い雑誌で出会ったアイドルに想い焦がれる梅澤くんを「そのままでいいんだよ」と肯定してあげるような眼差しの作品でした。 両パート共に松江監督らしいお節介とかつての自分への叱咤激励のような、2パートで対になる青春映画で、2人の奮闘と迷走にかつての自分を重ね合わせて応援している自分がいました。 その後、撮影の際にお世話になったシネマ・ロサさんから、パート1とパート2を合わせて劇場公開しませんかと言って頂き、本作の生みの親でもある故・しまだゆきやすプロデューサーによる発案のインターミッション映像を追撮し、パート1とパート2の間に挟んだ構成で劇場公開版の『童貞。 をプロデュース』として完成・劇場公開に至りました。 この劇場公開は、経費を全て自己資金で立て替えて、僕自身が生まれて初めて作品を預かっての本格的な配給デビューとなりました。 その頃、預かりで籍を置かせて頂いていたバイオタイドさんと劇場であるシネマ・ロサさんのご指導の元、通常の映画興行と同様に、劇場と折半した配給収入から立替経費を回収し、配給手数料をバイオタイドさんへ、売上を製作者・松江監督へのお支払いという流れになりました。 その後の地方上映は僕が全くの未経験なので、バイオタイドさんが中心となり配給を行いました。 またその後も10年間に渡り、シネマ・ロサさんのご好意で年に一度行われた周年上映は僕が窓口を担当しました。 (その際の配給手数料は弊社へ、売上は製作者・松江監督へお支払いしました。 ) [PR] そして、2017年の10周年記念上映の初日舞台挨拶に登壇してくれた加賀くんが、壇上で、松江監督に対して謝罪を求める実力行動に出て騒動となりました。 当日、僕はステージにてMCを担当していました。 正直、眼の前で起こっていることや状況がすぐには把握できず、情けない事に呆然と立ち尽くすばかりでした。 その後、この騒動に対して、撮影時の内容も含めての声明文を連名で発表する流れとなりました。 前述の通り、僕は撮影現場にはおりませんでした。 つまり「撮影時の内容」も含めて連名にする権利のない立場です。 それでも声明文を連名で出したのは、駆け出しのフリーランスの自分に配給業務を任せていただき、その後の『』や『』などの配給業務も含め、自分の映画配給の仕事を導いてくれた松江監督が紛れもなく、僕にとっての恩人であるという思いで一蓮托生のつもりでした。 しかし、今考えると、その点は軽率だったと反省しております。 そして、昨年発表された加賀くんの「ガジェット通信」のインタビュー記事を読んで、加賀くんに配給としても個人としても、直接お詫びしたい気持ちと共に、何より直接話をしたいと思いました。 そして、知り合いを通じて加賀くんと会うことができました。 その対話の中で、初上映のシネマ・ロサが好評につき2週限定から3週に上映延長決定したあたりから加賀くんの様子が変わってしまった、という僕の認識と加賀くんの認識に齟齬があったという事がわかりました。 そこには、僕は「出演者」としての認識、加賀くんは「共同制作者」としての認識があり、今考えてみれば、配給として、彼がどの立場で参加しているかをはっきりせずに、曖昧に進んでしまっていたプロジェクトであった事は事実なので、今となっては、そこははっきりとさせて進めるべきであったと反省しております。 [PR] 撮影当時から加賀くんがずっと苦しんでいていた事、言い出しにくい中で後から関わってきた僕に対しても、問題となっている撮影時のこと、共同制作者であると言う主張も伝えてくれていたという事。 今回会って話すまで、忘れていたことや記憶違い、認識違い、様々なすれ違い、当時の僕の未熟さゆえの理解不足もあり、本当に申し訳ない限りです。 配給としては映画の方向性を決める相談は常に松江監督と行っており、劇場も松江監督作品として扱っていたため、その辺りの認識のズレを見落とす事になっていたのだと思います。 先述の加賀くんのインタビューが発表された後、松江監督から撮影時・上映時のトラブルについて謝罪をしたい、弊社の公式サイトにアップしてほしい、と連絡があり、画像で送られてきた謝罪文を発表しました。 その際に、先述の2017年の10周年記念上映のトラブルの際の対応として松江監督と連名で出した声明文で発表した内容が「強要問題はない」「事実無根」と断定していたため、訂正となる旨も明記すべきではないかとなり、僕が「事実と異なる内容を発信してしまった事へのお詫び」の一文を添えさせていただきました。 しかし、言葉足らずのため、本来の意が伝えられず「どこが事実と異なる内容なのか」と各方面からお叱りを受けました。 加賀くんの主張に耳を傾けることなく「断定」してしまったことは本当に反省しており、事の重大さと加賀くんの痛みをもっと慮り、丁寧な説明を心がけるべきであったと思っております。 本当に申し訳ありませんでした。 [PR] 改めまして、2017年の連名の声明文の内容で、撮影及び制作現場で行われた事を知る由もない状態で、連名で出すべき内容ではなかったと反省しております。 また、10周年記念上映を上映中止にした経緯については、当時、壇上での加賀くんの行動の他、壇上に勝手に登って撮影を始めた観客の方や、煽るような声をあげる観客の方がいた事、それらが翌日にYouTubeに無断アップされるなど様々な異常事態が実際に起こりました。 映画の配給を生業としている身として、どんな理由があったとしても、あの様な行為を映画館内で行った事は今だに承服し兼ねます。 そして先述の通り、何が起こっているかをすぐに把握できず、呆然と立ち尽くすばかりでお客様や劇場を守れなかった事は配給として、今でも後悔の念と情けない思いでいっぱいです。 2007年の上映当時の熱狂的な受け入れられ方、お客さんたちの笑顔と拍手。 上映後に人気者になっていく、加賀くん、梅澤くんの2人が誇らしかったのを覚えています。 さらに多くの人に観て欲しいと思い、著名人や評論家の推薦コメント、ブログやmixi(まだTwitterがない時代でした)での感想など当時の空気に支えられ、わけが分からずも無我夢中だったあの駆け出しの頃に見た熱気に満ちた光景が、ずっと今の仕事の原点にあり、自分を支えてきました。 [PR] しかし、同時にその「多くの人に観て欲しい」と思い、上映を続けた事が、加賀くんの心を傷つけてしまっていました。 本当に申し訳なかったと猛省しております。 またその一方で、本件に関して主にSNS上で飛び交った「観て笑った人も同罪」「声をあげない人も同罪」という主旨の言葉には、配給という仕事をしている人間として、とても傷つきました。 勿論この映画に限らずですが、過去でも未来でも、上映時に劇場でお金を払って観てくださったお客様の鑑賞体験や感想に関しては、どんな時でも作り手側が強要する事ではなく、それぞれの自由に感じたままであってほしいと願っています。 先日の加賀くんとの対話の中で「直井さんには裏切られたと思っている」という言葉が発せられました。 僕は作品・監督第一ということを信念でやってきた一方で、インディーズ映画という小さなコミュニティで、配給という役職を超えて、関わっている個々の人達に対して、例えその問題への理解が及ばないとしても、1人で解決できなければ周囲にもっと呼びかけて、粘り強く向き合っていかねばなりませんでした。 それは映画人の前に1人の人間としてです。 13年前の未熟すぎた僕は、その後、配給会社を設立し、多くの作品に関わってきました。 その中で、1人の人間として成長してこれたのかどうかはまだわかりません。 僕は今も、20代や30代、時には10代の子たちの映画の企画を相談されたり、実際に関わる機会があります。 未来のある若い作家・出演者たちの間で、今後このようなことが起きないよう、一つ一つの事案に目を背けずに向き合って行きたいと思っております。 [PR] 以上、できるだけ言葉を尽くしたつもりですが、言葉足らずや、意図が伝わりにくい部分があったらお許しください。 最後に、上映当時にご覧頂いた皆さん、本作の御関係者様各位、多くの意見を頂いた皆さん、これまでに弊社の企画・配給・宣伝作品で関わってくださっている皆さんに不安や不快な思いを与えてしまい、本当に申し訳ありませんでした。 心よりお詫び申し上げます。 2020年1月21日 株式会社スポッテッドプロダクションズ 代表取締役 直井卓俊 (編集部・中山雄一朗).

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