尾張柳生。 日本古武道協会

伝説の剣豪・剣士・剣の達人を紹介【柳生兵庫助】日本最強は誰?流派は?

尾張柳生

この記事には 複数の問題があります。 やでの議論にご協力ください。 がまったく示されていないか不十分です。 内容に関するが必要です。 ( 2017年6月)• が含まれているおそれがあります。 ( 2017年6月)• した節があります。 ( 2017年6月)• 全体として に立って記述されています。 ( 2017年6月) 『 忍者月影抄』(にんじゃつきかげしょう)は、の時代小説。 『』()1961年6月号から1962年3月号に連載された。 の一作に数えられる。 忍者月影抄 著者 発行日 前作 次作 [ ] 将軍・と主・の闘争の駒として、配下の忍者柳生の剣士が組み入り乱れて戦うことになる。 題名となっている「月影」は尾張柳生 が使う秘剣である。 あらすじ 年間の江戸、に時の将軍・が当主だった時の側女(妾)の女性3人が晒されるという事件が起こった。 3人の背中には、かつて多くの側女を囲ったのを隠し、清廉を気取る将軍を皮肉る文言が書かれていた。 それは、主・から命ぜられた配下の忍者・御土居下組の仕業だった。 宗春は、当時を推進していた吉宗に反感を抱き、うっぷん晴らしに様々ないたずらを仕掛けていたが、その一環だったのである。 残る側女の行方をつきとめ、同様にさらし者にすることを御土居下組忍者に命じる宗春だったが、吉宗は自らの権威が損なわれるの嫌い、阻止(側女の抹殺)のため、配下の・を放つ。 さらには内で対立する江戸柳生と尾張柳生の剣士達が忍者同士の争いに加わり、虚々実々の戦いが繰り広げられていく。 その行き着く先にあるのは? 登場人物 柳生武芸者• 樋口万十郎 - 尾張柳生の剣士。 柳生新陰流「月影」 と魔剣「浮舟」を使う。 門奈孫兵衛 - 同じく尾張柳生の剣士。 柳生新陰流「疾風(はやて)」を使う。 雨宮嘉門 - 同上。 同じく新陰流「疾風」を使う。 杉監物 - 同上。 柳生新陰流「虎の一足」を使う。 秋月軍太郎 - 同上。 公家侍として女陰陽師・安倍早蕨に仕えている。 多田仁兵衛 - 江戸柳生の剣士。 柳生新陰流秘太刀「浦波」を使う。 大道寺竜助 - 同じく江戸柳生の剣士。 美少年に惚れる。 柳生新陰流「牛角(うしづの)」の構えを使う。 櫓平四郎 - 同上。 柳生新陰流秘剣「甲(かぶと)割り」を使う。 戸張図書 - 同上。 柳生新陰流「碇(いかり)がかり」を使う。 砂子蔦十郎 - 全身から冷気を発する忍者。 城ガ沢陣内 - のような銅拍子を紐で首から下げた忍者。 檀宗綱 - 美少年の忍者。 相手の夢の中に入り込める。 早蕨 - 京都の安倍家の息女。 女として糸占いをする。 外見は20歳くらいの色白の美人。 花使い。 御堂雪千代 - 女装の忍者。 早蕨と同一人物。 土使い。 一ノ目孤雁 - 片目の忍者。 閉じた目の中に毒虫を飼っている。 樺伯典 - 鏡を使う忍者。 水面はもとより空中や壁など自然界や建造物をも鏡状態に出来る。 紀伊徳川家の側妾たち 将軍になる前の徳川吉宗の側妾。 現在は吉宗とは無縁の存在となっているが、吉宗を辱めるための尾張宗春のいたずらの犠牲として付け狙われる。 お駒(おこま) - 京のの家令・青貝市之進の後妻。 お浜(おはま) - 尾道の・西海屋の女房。 おぎん - 堺の織物問屋・伊良子屋の女房。 卯月 うづき) - 国家老・小出主膳の後妻。 弥生 やよい) - 江戸屋敷の年寄。 おせん - 神田の屋・叶屋の女房。 お鏡(おきょう) - 京都の染物問屋・日野屋の娘。 牧野河内守の側妾。 その他• - 8代将軍。 作中49歳。 - 尾張藩主。 作中37歳。 - 将軍家兵法指南。 柳生6代当主。 藪田助八 - 公儀の頭領 登場する忍法• 忍法肌文字(はだもじ) - 相手の皮膚に血で書いた文字が決して消えない。 忍法浮寝鳥(うきねどり) - 水面の水草や蓮の上を渡り、沈まず池や沼を横断する。 忍法赤不動(あかふどう/せきふどう) - 一瞬に触れたものを炎と焼き尽くす。 忍法薄氷(うすらい) - 強烈な冷気で周囲を氷結させる。 忍法万華蝶(まんげちょう) - 花びらを五色の蝶の群れのように自在に操り、自分の姿を隠したり相手の顔面を襲う。 忍法夢若衆(ゆめわかしゅ) - 美少年が男を誘惑し、相手の夢の中に登場する。 惚れた男なら、その知人など未知の人物の夢にも出られる。 忍法不死鳥(ふしちょう) - 相手の体と自分の体が触れたとたん、一瞬に自分と相手の体が入れ替わる。 今より「若い」肉体に移る行為を繰り返せば、ほぼ(病死・戦死を除けば)不死身。 忍法銅拍子(どびょうし) - 縁が刃物になった2枚組の銅拍子を操り、相手の首や体を切断する。 忍法鏡地獄(かがみじごく) - 人工もしくは、自然の「鏡」の中に敵を閉じ込める。

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柳生新陰流

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柳生石舟斎の五男宗矩の流れであるいわゆる江戸柳生の血統は、五代俊方以降に絶えているものの、現在は十七代目に当る宗久氏が、東京に在住。 そして、刀法も幕末で絶えてしまったと思われがちですけれども、海軍兵学校の教官・下條小三郎から柳生正木坂剣禅道場元師範・大坪指方、さらにはその弟子へと伝えられています。 いっぽう、石舟斎の長男厳勝の子兵庫利厳の流れである尾張柳生は、明治以降も、十世厳周、十一世厳長、十二世延春・・・二十二世厳信(柳生耕一氏)と続き、いまでも積極的に柳生新陰流刀法の保存・普及につとめています。 なお、尾張柳生の十一世柳生厳長氏(故人)は、『正伝新陰流』という著作において、尾張柳生の祖利厳が石舟斎から一子相伝の栄誉を受けたことを名誉として、尾張柳生こそが新陰流の正統(宗家)であると自負しています。 たしかに石舟斎は、死の一年まえに、一子相伝のための書である『没滋味(もつじみ)手段口伝書』に、 生年七十七歳六月吉日、 今日迄は、子供、一類に一人も 相伝これ無きなり 花押 宗厳 七十七歳 巳六月吉日 と追記している。 これは事実です。 ところが石舟斎は、兵庫に与えたのと同じ『没滋味手段口伝書』を、この三年前に弟子の能役者でもある金春七郎にも送っている。 そして、これにも 未だ弟子を取り申さず候、然れども貴所へ初めて相伝せしめ候 と認められており、それどころか、これ以前に三好一族ほか何人にも印可、目録を与え、しかのみならず、「これは自分の五人の子供にも相伝していないものだ」と書いている。 つまり石舟斎は、自分の出す印可状を権威づけるために、「あなただけに特別に与える」と勿体をつけたのだと見るのが妥当で、したがって、尾張柳生が新陰流の正統であるという話も、かなり怪しいということになるんです。 柳生宗矩(柳生石舟斎の五男の系統の江戸柳生家の血筋は、柳生宗冬(柳生宗矩の三男)の孫の代で途絶えて養子を入れて、形だけ続いている格好ですが、もう1つの柳生厳利(柳生石舟斎の長男の子供)の尾張柳生家は血筋を受け継いでいて、新陰流の宗家として伝承もされています。 柳生博も末裔だそうですが、江戸柳生家か尾張柳生家の系統かで血が繋がっているかどうかになりますね。 新陰流兵法第二十二世宗家の柳生耕一氏は尾張柳生家の系統です。 江戸柳生家と尾張柳生家は江戸時代を通じて仲が悪く、江戸柳生家の血筋が絶えそうになったときにも養子を出していません。 江戸柳生家が柳生家を継ぎ、尾張柳生家が新陰流の宗家を継いだりした事が不仲になった可能性はあります。 尾張柳生家は尾張徳川家の剣術指南役を代々やっていました。

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徳川幕府が260年余り泰平の世を支える土台となった「 柳生新陰流」は 柳生石舟斎とその息子の が築いたのである。 剣術と共に生きた剣豪・柳生石舟斎について調べてみた。 柳生家の運命 柳生石舟斎は、柳生の庄(現在の奈良県柳生町)の領主・柳生家厳の嫡男として生まれた。 また、生まれた年号は大永7年(1527年)または享禄2年(1529年)の二つの説がある。 諱は宗厳、通称は新介、新次郎、新左衛門、右衛門、入道して石舟斎と号したのだ。 柳生家は、あのの直系であるとも言われている。 石舟斎は、若い時から剣術を好み、戸田一刀斎(鐘巻自斎)から冨田流を、神取新十郎から新当流を学び「 五畿内一の兵法者」と呼ばれるまでになった。 石舟斎が生まれた頃の柳生家は戦乱の中で争いが絶えず、石舟斎17歳の天文13年(1544年)にの攻撃を受け柳生城は陥落して筒井の軍門に下る。 石舟斎32歳の永禄2年(1562年)には、柳生家は筒井を裏切りについた。 石舟斎は、若い時から多くの戦いに明け暮れ数々の武功を上げるが、松永久秀は織田信長に敗れて自害。 その後天下を取った豊臣秀吉から柳生家本領安堵の沙汰を受け、秀吉の実弟であるの組下に配置される。 しかし、太閤検地で隠し田が見つかり領地を没収されるなど、激動な戦国時代を生き抜く小国として波乱万丈の人生を過ごすのである。 石舟斎36歳の永禄6年(1563年)に信綱は、伊勢の国主・のもとに立ち寄った時に彼から 胤栄や 石舟斎の話を聞き、奈良興福寺の宝蔵院で彼らに出会ったという。 石舟斎は信綱との試合を望んだが、信綱から弟子の鈴木意伯と立ち合うように言われ、3度立ち合ったが石舟斎は完敗したのだ。 ただ、この時立ち会った相手は、鈴木意伯ではなく一番弟子の疋田農五郎だったという説や信縄本人だったという説もある。 信綱は、石舟斎の熱心さや誠実さに惹かれたのか、翌朝から石舟斎と3日続けて信綱自身が立ち合う。 自然体で隙だらけに見える信綱に電光石火の竹刀を振り下ろす石舟斎。 しかし、次の瞬間あっけなく小手をあびて竹刀を落としてしまうのだ。 3日間一度も勝てなかった石舟斎は、信綱に入門を志願し快諾されて、信綱は柳生の庄で半年間も留まって教えた。 信綱は、足利13代将軍で剣豪でもあると謁見するために一番弟子の疋田農五郎を柳生に残し、出発する際に石舟斎に一つの課題を与える。 それは「 無刀の位」。 武器を持たぬ身で一瞬にして相手の武器を取り上げて敵を制圧する剣技の完成形である。 刀に頼らず勝を得る究極の技であり、信綱自身も完成させていない剣技であった。 永禄8年(1565年)、再び柳生の庄を訪れた信綱に石舟斎は課題の「無刀の位」を披露した。 打太刀は鈴木意伯。 真っ向から石舟斎に電光石火の一撃を!と思った瞬間にすらりすらりと意伯の打ち込みをすり抜け、さっと両者の体が入れ替わった瞬間、意伯の剣は石舟斎に握られていたのだ。 石舟斎は 無刀取りの完成形を信綱に披露したのである。 信綱は、石舟斎に新陰流の極意を全て相伝して新陰流二世の印可状を与えるのである。 無刀取りに関しては、柳生家に伝わる伝書に「 無刀とは刀に執着せず武器を選ばぬことであって、たとえ武器がなくても慌てず騒がぬ境地に至ること」と記されており、まったくの素手で立ち向かうということだけを言っているわけではないようだ。 石舟斎は5男のを伴って家康の前で剣技を披露した。 打太刀は宗矩、石舟斎は両手をだらりと下げ武器を持たない。 気合と共に宗矩の閃光の一撃が振り下ろされる。 石舟斎が木刀の下で片膝をつくと同時に木刀は地面に落ち、宗矩の喉元には石舟斎の拳が入っていた。 これを見た家康は石舟斎との立ち合いを望む。 家康の気迫の一撃が振り下ろされた瞬間に石舟斎は体を沈ませ木刀の柄を取り、剣を跳ね上げ家康の左腕を左手で制圧して、右の拳で胸を突き倒せる態勢のままで止められていた。 感服した家康は石舟斎に入門を申し出るも、石舟斎は「 ご覧のごとく我が身は老齢。 代わりに心血注いで仕込んだせがれの宗矩をお召し出し下されば望外の幸せ」と言った。 家康は、すぐに入門の誓紙を書き宗矩に知行200石と備前長船・景則を与え旗本に取り立てたのである。 まさに柳生一族にとってこの日は運命の出会いとなった。 この頃は太閤検地で所領を没収されて生活に困窮している時期だったが、宗矩は徳川の剣術指南役になり二代秀忠・三代家光の指南役も務め、1万2000石の大名まで出世する足掛かりとなった。 高齢を理由に家康の入門を断った石舟斎だが、実はにも兵法を指南していた。 石舟斎は徳川・毛利両家から扶助を受けており、まさに石舟斎は戦国時代をうまく生き抜くすべを知っていたのかもしれない。 宗矩は畿内の諸大名たちへの諜報・調略に、を活用した。 石舟斎の孫であり宗矩の甥である (後の尾張柳生兵庫助)とも裏工作などで連携し、徳川家に対して大きな功績を上げた。 この時の柳生の情報収集過程が後世の「 裏柳生」と呼ばれる情報機関の原型ではなかったかと考えられる。 関ヶ原の戦いに勝利した家康は、石舟斎・宗矩親子を高く評価して、先祖代々の旧領・柳生の庄一帯の2,000石を石舟斎に与えた。 江戸柳生と尾張柳生 宗矩が江戸で後の「江戸柳生」の地盤を固めていた頃、柳生の庄では 柳生利厳が剣の筋を見込まれて、石舟斎自ら孫に剣術を指南する。 慶長8年(1603年)利厳は熊本藩主・ に仕官し、石舟斎は利厳に「 新陰流兵法目録事」を与えた。 しかし、利厳は1年足らずで加藤家を致仕して廻国修業の旅に出るのである。 翌年、石舟斎は旅先の利厳に皆伝印可状を送り、柳生の庄に戻ってから自筆の目録「 没慈味手段口伝書」と大太刀一振り、上泉信綱から与えられた印可状と目録一切を授与して、利厳は新陰流三世となった。 政治を志した5男・宗矩を兵法者として認めなかったのか、若年で負傷した長男厳勝の子・利厳が不憫だったのか、単に剣術の腕なのか、新陰流三世は利厳となった。 利厳は、後に尾張藩主・徳川義直の指南役として仕え、 柳生兵庫助となる。 その3男・ は柳生きっての剣豪となるのだ。 こうして尾張柳生家が新陰流の正統となり、現在も継承されているのである。 慶長11年(1608年)、石舟斎は 78歳で病死する。 墓所は柳生の庄の 芳徳禅寺となった。 この石は、石舟斎が修業中に天狗がいたので試合して、一刀のもとに天狗を切り捨てたと思ったが巨石を二つに割っていたとされるもので、実際に残っているのだ。 最近人気の漫画「」にも同じようなシーンが登場し、一刀石は人気の観光地となっているのである。 おわりに 柳生石舟斎は、若い時から剣術を磨き「五畿内一の兵法者」としてやんちゃな振舞いが多かった。 そんな石舟斎は上泉信綱に完膚なきまで負け続け、36歳で弟子入りして「無刀取り」を完成させ新陰流二世となった。 その噂を聞いた徳川家康に取り立てられた息子・宗矩は大名にまで出世して「柳生新陰流」は天下の兵法となる。 柳生石舟斎の剣術に対する貪欲な姿勢が、戦国乱世で運命に翻弄された柳生一族を救うのである。 カテゴリー• 118• 368• 358• 1,430• 150• 816• 594• 173• 100• 180• 145• 135• 109• 567•

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