返歌にも及ばず。 日本古典文学摘集 古典を読む 古今著聞集 巻第五 第六 和歌 四十二 第一八三段 を読み解く

和歌入門(引用集)

返歌にも及ばず

このお話のあらすじ 和泉式部は才能にあふれた歌人として知られていました。 この話が起こった当時、和泉式部は夫の転勤で丹後に引っ越しており、京都には娘の小式部内侍だけが残されていました。 ある日、小式部内侍は、歌詠みの大会(歌合)によばれました。 歌合とは即興で詠んだ和歌の優劣を競い合う文学的な遊びのことです。 有名な歌人を母にもつ小式部内侍には、周囲からの期待がかかります。 そのような状況下で小式部内侍は、定頼の中納言に「歌の名人であるお母さんに、代わりに歌を詠んでもらうために遣わした者は帰ってきましたか。 」とからかわれてしまいます。 からかわれた小式部内侍は、すばらしい歌でこれに答えます。 その時に詠まれた歌がこの「大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天橋立」です。 あまりのすばらしさに返す言葉もなくなった定の頼中納言は逃げてしまいました。 そんな、すかっとするようなお話です。

次の

【現代語訳】大江山/1分でわかるあらすじ|古典の現代語訳

返歌にも及ばず

[大江山いくのの道の遠ければ まだふみもみず天の橋立] と詠みかけけり。 思はずに、あさましくて、 「こはいかに、かかるやうやはある。 」 とばかり言ひて、返歌にも及ばず、袖を引き放ちて、逃げられけり。 小式部、これより歌詠みの世に覚え出で来にけり。 これはうちまかせての理運のことなれども、かの卿の心には、これほどの歌、ただいま詠み出だすべしとは、知られざりけるにや。 大江山の現代文 和泉式部が、保昌の妻として、丹後に下った頃に、京で歌合わせがあったところ、小式部内侍が、歌詠みに選ばれて、 歌を 詠んだのを、定頼中納言がふざけて、小式部内侍が 局に いた時に、 「丹後 の母のもと へおやりになった人は 帰って 参りましたか。 どんなにか待ち遠しくお思いのことでしょう。 」 と言って、局の前を通り過ぎられたのを、御簾から半分ばかり 身を 乗り出して、ほんの少し直衣の袖を引っ張って、 [大江山を越え、生野を通って行く道のりが 京から 遠いので、 母がいる丹後の 天の橋立はまだ踏んでみたことはありませんし、 母からの 手紙もまだ見ていません。 ] と詠みかけた。 定頼は 思いもかけぬことに驚いて、 「これはまぁなんとしたことだ。 こんな =当意即妙に歌を詠む ことがあろうか、いや、あるはずはない。 」 とだけ言って、返歌もできず、袖を引き払ってお逃げになった。 小式部は、この時から歌詠みの世界に名声が広まったということだ。 こうしたことは、ごく普通の当然のことであったけれど、あの卿の心の中には、これほどの歌をすぐに詠み出すことができるとは、おわかりにならなかったのであろうか。 大江山の単語・語句解説 [妻にて] 妻として。 「にて」は資格を表す格助詞。 [遣はしける人] おやりになった人。 [参りたりや] 帰って参りましたか。 [心もとなく] 待ち遠しく。 [思す] お思いになる。 「思ふ」の尊敬語。 [局] 女房や女官のいる部屋 [御簾] すだれの敬称。 [遠ければ] 遠いので。 [かかるやうやはある] こんなことがあろうか。 [歌詠み] 歌を詠む人。 [覚え出で来にけり] 評判が高くなったということだ。 [うちまかせての] ごく普通の。 答え:小式部内侍が定頼中納言の袖をひかへた。 まとめ いかがでしたでしょうか。 今回は十訓抄の大江山についてご紹介しました。 その他については下記の関連記事をご覧下さい。

次の

十訓抄「大江山」原文と現代語訳・解説・問題|鎌倉時代の説話集

返歌にも及ばず

二十五日、菊川を 出で 【注1】て、今日は大井川といふ川を渡る。 水いと あせ 【注2】て、 聞きし 【注3】には違ひて、わづらひなし。 川原幾里 とかや 【注4】、いと 遥かなり 【注5】。 水 の 【注6】 出でたらむ 【注7】面影、おしはから る 【注8】。 思ひ出づる 【注9】都のことは おほゐ川 【注10】いく瀬の石の数も及ば じ 【注11】 宇津の山 越ゆる 【注12】ほどにしも、阿闍梨 の 【注13】見知り たる 【注14】山伏、行き会ひ たり 【注15】。 「夢にも人を」など、昔をわざと まねびたらむ 【注16】心地していと 珍かに 【注17】、 をかしく 【注18】も、 あはれに 【注19】も、優しくも おぼゆ 【注20】。 「急ぐ道 なり 【注21】。 」と言へば、文も あまた 【注22】は え 【注23】書か ず 【注24】、ただ やむごとなき 【注25】所一つにぞ おとづれ 【注26】 聞こゆる 【注27】。 我が心 うつつ 【注28】ともなし宇津の山夢路も遠き都恋ふとて 蔦楓 しぐれぬ 【注29】 ひま 【注30】も宇津の山涙に袖の色ぞ 焦がるる 【注31】 今宵は手越といふ所にとどまる。 某の僧正とかやの上りとて、いと人 しげし 【注32】。 宿りかねたりつれ 【注33】ど、 さすがに 【注34】人のなき宿もありけり。 重要な品詞と語句の解説 語句【注】 品詞と意味 1 出で ダ行下二段動詞「出づ」の連用形。 2 あせ サ行下二段動詞「あす」の連用形。 意味は「水がかれる」。 3 聞きし カ行四段動詞「聞く」の連用形+過去の助動詞「き」の連体形。 4 とかや 格助詞「と」+係助詞「か」+間投助詞「や」。 意味は「~であるか」。 5 遥かなり ナリ活用の形容動詞「遥かなり」の終止形。 6 の 格助詞の主格。 意味は「~が」。 「の」の見分け方については、以下のページで詳しく解説をしていますので、よろしかったら、ご確認下さい。 7 出でたらむ ダ行下二段動詞「出づ」の連用形+存続の助動詞「たり」の未然形+仮定の助動詞「む」の連体形。 8 る 自発の助動詞「る」の終止形。 9 思ひ出づる ダ行下二段動詞「思ひ出づ」の連体形。 10 おほゐ川 名詞。 「多い」と「大井川」の掛詞になっている。 11 じ 打消推量の助動詞「じ」の終止形。 12 越ゆる ヤ行下二段動詞「越ゆ」の連体形。 13 の 格助詞の主格。 14 たる 存続の助動詞「たり」の連体形。 15 たり 完了の助動詞「たり」の終止形。 16 まねびたらむ バ行四段動詞「まねぶ」の連用形+完了の助動詞「たり」の未然形+婉曲の助動詞「む」の連体形。 意味は「まねたような」。 「む(ん)」の見分け方については、以下のページで詳しく解説をしていますので、よろしかったら、ご確認下さい。 17 珍かに ナリ活用の形容動詞「珍かなり」の連用形。 18 をかしく シク活用の形容詞「をかし」の連用形。 19 あはれに ナリ活用の形容動詞「あはれなり」の連用形。 20 おぼゆ ヤ行下二段動詞「おぼゆ」の終止形。 21 なり 断定の助動詞「なり」の終止形。 22 あまた 副詞。 意味は「たくさん」。 23 え 副詞。 下に打消表現を伴って、「~できない」と訳す。 24 ず 打消の助動詞「ず」の連用形。 25 やむごとなき ク活用の形容詞「やむごとなし」の連体形。 意味は「尊い・高貴である」。 ここでは、後深草天皇の皇女を産んだ作者の娘のことを指す。 26 おとづれ 名詞。 意味は「手紙」。 27 聞こゆる ヤ行下二段動詞「聞こゆ」の連体形。 謙譲語。 意味は「差し上げる」。 係助詞「ぞ」に呼応している。 28 うつつ 名詞。 意味は「現実」。 29 しぐれぬ ラ行下二段動詞「しぐる」+打消の助動詞「ず」の連体形。 意味は「時雨が降らない」。 30 ひま 名詞。 意味は「時」。 31 焦がるる ラ行下二段動詞「焦がる」の連体形。 係助詞「ぞ」に呼応している。 32 しげし ク活用の形容詞「しげし」の終止形。 意味は「多い」。 33 宿りかねたりつれ ラ行四段動詞「宿る」の連用形+動詞の連用形に付いて「不可能」を表す接尾語「かぬ」の連用形+存続の助動詞「たり」の連用形+完了の助動詞「つ」の已然形。 34 さすがに 副詞。 意味は「そうはいってもやはり」。 二十五日、菊川を出て、今日は大井川という川を渡る。 水が涸れて、聞いていたのとは違って、(渡るのに)苦労がない。 川原は何里くらいあるのであろうか、とても広い。 川の水が(氾濫して)溢れ出たとしたら、その様子は、(どうなるかと)思いやられる。 思い出す都のことはとても多く、大井川の川瀬にいくつもある石の数も、それには及ばないだろう。 宇津の山を越える時に、阿闍梨(作者の息子)の見知っている山伏が、向こうからやって来て会った。 (『伊勢物語』第九段にある和歌)「夢にも人を」などと、先人が詠んだ歌を、わざとまねたような気持ちがして、とてもめったになく、趣があり、風情で、優雅にも思われる。 (山伏が)「急ぎの旅である。 」と言うので、(託したい)手紙もたくさんは書くことができず、ただ尊いお方(後深草天皇の皇女を産んだ作者の娘)の所へ一つ手紙を差し上げる。 私の心は(この旅を)現実とも思えません。 宇津の山に来て、夢の中でさえ遠い都を恋い慕っております。 蔦や楓に時雨が降らない期間の宇津の山で、私の袖は血の涙で赤く染まっています。 今夜は手越という所に泊まる。 某僧正とかいう方の上洛であるといって、たいへん人が多い。 宿を取ることができそうになかったが、そうはいってもやはり旅人が泊まっていない宿もあった。 いかがでしたでしょうか。 注7と注16に助動詞の「む」が出てきますが意味が異なりますので、きちんと識別できるようにしておきましょう。 また、 「やむごとなき」が、「作者の娘」であることも理解しておきましょう。 「月影の谷」で、作者のもとに、返歌がきますが、この返歌のは「作者の娘」のものです。 自分の娘ですが、天皇の娘を産んだため、敬語表現が使われています。 ありがとうございました。 あれは、実の娘からの返歌でしたんですね。 疑問が解決しました。 では、これにて失礼。 お待ち! まだ、「駿河路」終わってません! 最後まで聞いていきなさい。 では、続きをどうぞ。 【山東京伝作北尾重政画『堪忍袋緒〆善玉』(寛政五年刊)を参考に挿入画を作成】.

次の