艦これ レイテ。 【艦これ】次回イベントは6月中の作戦開始を予定!!!

5分でわかるレイテ沖海戦!敗因や特攻隊、海外の反応などをわかりやすく解説

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第二次世界大戦中の1944年10月23日から25日にかけて、フィリピンの周辺海域で起こった、アメリカ・オーストラリア連合国軍と、日本との戦闘を「レイテ沖海戦」といいます。 シブヤン海海戦、スリガオ海峡海戦、エンガノ岬沖海戦、サマール沖海戦など一連の海戦をあわせた相称で、当時は「フィリピン沖海戦」と呼ばれていました。 その規模の大きさや戦域の広さから「人類史上最大の艦隊戦」といわれています。 連合国側の主な目的は、日本の勢力下にあったレイテ島の奪還。 一方で日本側の目的は、連合国軍の上陸を阻止して本土への侵攻を食い止めることです。 連合国軍の戦力は、航空母艦17隻、護衛空母18隻、戦艦12隻、重巡洋艦11隻、軽巡洋艦15隻、駆逐艦141隻、航空機約1000機、補助艦艇1500隻という圧倒的なもの。 これに対し日本軍は、稼働できるほぼすべての艦艇を投入しましたが、航空母艦4隻、戦艦9隻、重巡洋艦13隻、軽巡洋艦6隻、駆逐艦34隻、航空機約600機と、その差は歴然でした。 一連の海戦の結果、日本軍は連合国軍に、航空母艦1隻、護衛空母2隻、駆逐艦2隻の損失を与えることができましたが、日本軍は4隻の航空母艦が全滅し、不沈艦といわれていた「武蔵」をはじめとする戦艦3隻、重巡洋艦6隻、軽巡洋艦4隻、駆逐艦9隻が沈没しています。 戦死者は約7500人と、事実上壊滅してしまいます。 「レイテ沖海戦」に敗れて以降、日本軍は大規模な戦闘をおこなうことが不可能な状態となったのです。 連合国軍のフィリピン侵攻への対抗策として日本が計画したのが、「捷一号作戦」です。 これは、航空兵力によって連合国軍の機動部隊を牽制し、その隙を突いて戦艦を主力とする水上部隊が突撃して敵の艦隊を殲滅、上陸を阻止しようとする作戦でした。 1944年10月17日、連合国軍がレイテ湾に侵入したのを受け、日本軍は「捷一号作戦」を発令します。 栗田健男中将、西村祥治中将、志摩清英中将、小沢治三郎中将らに率いられた各艦隊が、レイテ湾へ向けて進軍を始めます。 10月24日、栗田健男中将率いる主力艦隊は、シブヤン海にさしかかったところで連合国軍に発見され、たび重なる空襲を受けた結果、戦艦「武蔵」を撃沈されてしまいました。 またスリガオ海峡では、西村祥治中将と志摩清英中将が率いる艦隊が連合国軍に発見されてしまいます。 攻撃が栗田の艦隊に集中しているうちに、西村の艦隊は単独でレイテ湾へ突入。 戦艦6隻を含む計79隻もの大艦隊と戦い、壊滅しました。 これを受けて志摩はレイテ湾への突入を断念し、戦場からの離脱を計りますが、連合国軍の追撃を受けてこちらも壊滅的被害を受けることとなります。 10月25日、エンガノ岬沖では、航空兵力によって敵の機動部隊を牽制するという役目を担った小沢治三郎中将率いる機動部隊を、連合国が襲撃。 かつて世界最強を誇った日本海軍機動部隊は壊滅してしまいます。 しかし小沢らが囮となって時間を稼いでいる間に、栗田の艦隊がレイテ湾への突入に成功。 サマール沖の海戦で、戦艦「大和」をはじめとする主力艦隊を用いて攻撃し、連合国軍の護衛空母群を蹴散らすことに成功しました。 栗田の艦隊は前日の戦闘で撃退したと考えられていたため、連合国軍は突然の事態にパニックとなり、多数の損害を被ることになったのです。 この戦いにおいて、日本軍は初めて「神風特別攻撃隊」、通称「特攻隊」を投入しています。 栗田の艦隊を攻撃しようとしていた連合国軍の護衛空母群に向かっていき、文字どおり身を挺して栗田艦隊を守りました。 しかしサマール沖の海戦後、栗田は「捷一号作戦」の目的である連合国軍の上陸部隊への攻撃をおこなわず、「北方の敵機動部隊を攻撃する」と反転してしまうのです。 結局目標としていた機動部隊を発見することはできず、そのまま撤退。 こうして日本海軍の最後の組織的戦闘となった「レイテ沖海戦」は終焉を迎えました。 栗田の判断は「謎の反転」「栗田ターン」と呼ばれ、その理由や結果が議論を巻き起こしています。 「レイテ沖海戦」の敗因は? 日本の「レイテ沖海戦」の敗因として、小沢の率いる艦隊の誘引が1日遅れたため、突入部隊が10月24日に発見され、襲撃を受けて甚大な損害を受けたことや、栗田と西村、志摩の連携がとれておらず、突入がバラバラになってしまったことなどが挙げられます。 そして最大の敗因とされているのが、先述した栗田健男の「謎の反転」です。 味方の機動部隊を囮にし、多くの損害を出しながらも連合国軍の護衛空母群を突破。 あとはほぼ丸裸状態の上陸部隊を攻撃すれば作戦成功という段階で、なぜ栗田は艦隊を反転させてしまったのでしょうか。 彼の判断をめぐっては、現在までさまざまな議論がされ、なかには「栗田中将が臆病風に吹かれた」など批判の声もありました。 彼が反転を決断した理由のひとつが、とある電文です。 栗田艦隊の北方100kmの地点に敵の機動部隊がいると伝えられ、栗田は反転してこの機動部隊を叩くことにしたのです。 ちなみに栗田は終戦後、取材に対して自分自身で判断をして決定したと述べていますが、実際には参謀たちによる会議がおこなわれ、全員一致で決められたことがわかっています。 「レイテ沖海戦」に対する海外の反応 栗田の判断について、イギリスの首相ウィンストン・チャーチルは著書のなかで、「この戦場と同様の経験をした者だけが、栗田を審判することができる」と擁護しています。 また、艦隊から海上に投げ出された連合国側の乗組員に日本軍が食糧や水を差し入れした、沈みゆく連合国軍の駆逐艦を日本の艦長が敬礼をしながら見送ったなど、武士道をもった戦い方がアメリカからも評価されました。 なかでも各国に強烈な印象を与えたのが「特攻隊」です。 レイテ島への上陸作戦を実行したレイ・ターバック大佐は「この戦闘で見られた新奇なもの」と表現し、「敵が100機の航空機を保有している場合、自殺的急降下攻撃に用いて艦船100隻を炎上させるかもしれない」と考えたそうです。 連合国軍第3艦隊の司令官を務めていたウィリアム・ハルゼー・ジュニアは、「切腹の文化があるというものの、誠に効果的なこの様な部隊を編成するために十分な隊員を集め得るとは、我々には信じられなかった」と証言しています。

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【艦これ】次回イベントは6月中の作戦開始を予定!!!

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アニメ 「艦これ」に登場する戦場は、太平洋戦争で実際に戦場となった場所が多いのですが、一方で、モデルとなった地名をちょっと変えて登場させている例が目立ちます。 例えば、インド洋がカレー洋、ソロモン海がサーモン海という名前で登場するといった具合です。 しかしレイテ沖海戦ステージでは、同海戦の戦場が実名で登場しています。 2014年に「艦これ」でミッドウェー海戦を再現した期間限定海域が登場した際、筆者はという評論文を掲載したことがあったのですが、本稿はミッドウェー海戦に続く第2弾です。 尚、本稿の主眼は、「艦これ」及び映像作品でレイテ沖海戦がどう描かれたかを探ることにありますので、この点を御理解戴ければ幸いです。 また、私もまだまだ不勉強な点があることを事前にお詫びしておきます。 アメリカ陸軍はレイテ湾に出現し、フィリピンに進攻しました。 これに対し、日本海軍は戦艦や重巡洋艦等をレイテ湾に突入させて米陸軍を叩こうとしました。 しかし、それには邪魔者がいました。 フィリピン東側の海域に、戦艦の敵である航空戦力を擁する米海軍の機動部隊がいたのです。 そこで日本海軍は、空母瑞鶴、千歳、千代田、瑞鳳を囮にしてフィリピン北東に進出させ、米機動部隊を北方に引き付ける作戦を実行しました。 この時、日本側の4空母は迷彩が施されていた為、「艦これ」でもこれら四空母の迷彩色バージョンが登場しています。 攻撃を受ける空母瑞鳳(PHOTO:U. National Archives) これら四空母を率いた司令長官が小沢治三郎中将であったことから、この艦隊は小沢艦隊と呼ばれています。 余談を2点申し上げますと、まずテレビアニメ「神様のメモ帳」第3話「僕が二人にできること」で登場人物の大学生・向井均(声・宮田幸季)が小沢を尊敬しております。 また、テレビアニメ「ブレイブウィッチーズ」の登場人物・大沢義三郎(声・土師孝也)のモデルが小沢治三郎であると推測されます。 さて、小沢艦隊が米機動部隊を北方に引き付けるのと連動して、3つの艦隊がレイテ湾を目指しました。 大和、武蔵、長門と日本を代表する戦艦などを主力(旗艦は第四戦隊の重巡洋艦愛宕)とする栗田艦隊、戦艦山城、扶桑を中核とする西村艦隊、重巡洋艦那智、足柄を主力とする第二遊撃部隊の志摩艦隊です。 ブルネイを発つ武蔵(U. Naval History and Heritage Command Photograph) この続きは追い追い申し上げることに致しましょう。 まずレイテ沖海戦全体を描いた映像作品として、昭和46年のタツノコプロのテレビアニメ「アニメンタリー 決断」(総監督・九里一平)第21話「レイテ沖海戦(前篇)」及び第22話「レイテ沖海戦(後篇)」、昭和56年の東宝映画「連合艦隊」(本篇監督・松林宗恵、特技監督・中野昭慶)があります。 レイテ沖海戦を部分的に描いた映像作品は以下の通りです。 昭和35年の東映映画「殴り込み艦隊」(本篇監督・島津昇一、特撮監督・上村貞夫)は、架空の駆逐艦・黒雲を主役にした映画です。 黒雲はレイテ沖海戦でスリガオ海峡に突入して敵艦隊と交戦した後、生還しています。 史実では西村艦隊がスリガオ海峡に突入し、駆逐艦時雨が生還しています。 昭和49年の東映映画「あゝ決戦航空隊」(本篇監督・山下耕作、特撮監督・本田達男)では、レイテ沖海戦における特攻作戦の誕生を描いています。 攻撃を受ける大和(PHOTO:U. National Archives) 次の項目では、「アニメンタリー 決断」「連合艦隊」について、もっと詳しく見ていきましょう。 では第22話「レイテ沖海戦(後篇)」は武蔵が沈没した後の話であろうと思ってしまうところですが、何とそうではなく、前篇で描いた部分ももう1回描き、レイテ沖海戦をまた最初から描いています。 つまり、後篇だけ見ればレイテ沖海戦の全体像が分かるのです。 即ち、パラワン水道における米潜水艦の雷撃、シブヤン海における米航空隊の空襲とそれによる武蔵の沈没、サマール島沖における栗田艦隊と米護衛空母の戦い(ナレーターはこの戦いでレイテ沖海戦の火蓋が切られたと言っています)、米護衛空母に突っ込む特攻隊、小沢機動部隊と米機動部隊の戦いが描かれ、運命の瞬間を迎えます。 本作におけるレイテ沖海戦の場面は、主に次の3つの部分で構成されています。 第二艦隊司令長官・栗田健男(演・安部徹)と第一戦隊司令官・宇垣纏(演・高橋幸治)のやり取り 2. 瑞鶴の様子 3. 慶応義塾大学日吉校舎の地下にあった連合艦隊司令部の様子 筆者が撮影した慶応義塾大学日吉校舎の連合艦隊司令部入口です。 因みに、「連合艦隊」でも「殴り込み艦隊」でも慶応義塾大学日吉校舎の連合艦隊司令部の場面に田崎潤が出演していますので興味のある方は見比べてみてください。 「連合艦隊」の栗田艦隊の場面では、パラワン水道における米潜水艦の雷撃の場面は描かれましたが、シブヤン海における米航空隊の空襲、サマール島沖における栗田艦隊と米護衛空母の戦いは省略されました。 西村艦隊と志摩艦隊は劇中の地図にすら登場しません。 一連の栗田艦隊の場面における栗田と宇垣の台詞とそっくりな台詞が「劇場版 艦隊これくしょん~艦これ~」にも登場していますので、興味のある方は注目してみてください。 尚、「アニメンタリー 決断」ではナレーターがスリガオ海峡海戦にチラッと言及していましたが、「連合艦隊」ではスリガオ海峡海戦も省略されました。 という訳で、スリガオ海峡海戦を映像化した作品は「殴り込み艦隊」だけということになります。 一方、栗田艦隊の場面と同時並行して瑞鶴の場面も描かれ、栗田艦隊は運命の瞬間を迎えます。 総員退艦で万歳三唱する空母瑞鶴乗組員(U. レイテ湾を目前にした栗田艦隊は、北方に米機動部隊がいるという電文を受信した為、これと決戦すべく、北に反転したのですが、結局、米機動部隊とは遭遇しませんでした。 この電文には謎が多い為、議論を呼んでいます。 世間には、栗田艦隊が撤退したという解釈も少なくありません。 戦後、栗田氏がインタビューで漏らした一言が独り歩きし、栗田撤退説の普及に拍車をかけました。 ゲーム情報サイト「4Gamer. net」に2013年9月19日に掲載されたという記事に、「艦これ」の生みの親である田中謙介プロデューサーのインタビューが掲載されているのですが、田中プロデューサーの口ぶりを見ると、この時点ではどうやら栗田撤退説を取っている印象を受けます。 この時の栗田長官の見解は次の通り。 ・艦隊決戦に勝利した。 ・レイテ湾に突入すれば米軍の救援が来る。 そうなれば栗田艦隊は全滅するかもしれない。 艦隊を温存して日本を守るべきだ。 ・小沢艦隊の動向が不明である。 栗田長官の上記の見解に対し、宇垣司令官はレイテ湾突入を主張していました。 ナレーターは、決断を下す為には正確な情報が重要であると語り、物語を締め括っています。 ・小沢機動部隊による囮作戦は失敗したと考えられる。 ・なぜなら北方に敵機動部隊がいるからだ。 ・よってレイテ湾には突入せず、北方の機動部隊に向かう。 本作でも宇垣司令官がレイテ湾突入を主張し、2人が対立する様子が描かれました。 また、小沢艦隊の動向が不明である点が栗田長官の判断に影響を与えたことが描かれました。 レイテ湾に突入すればボスとの戦闘になり、北方に行くと、空母との戦闘になる場合と敵を発見できない場合がありました。 かつて田中プロデューサーは栗田艦隊が撤退したと解釈していた節がありますが、数年の時を経て登場したレイテ沖海戦ステージで制作側は、栗田艦隊が撤退したという解釈を採用しなかったと言えるでしょう。 違い……「アニメンタリー 決断」では栗田艦隊は撤退したと描かれたが、「連合艦隊」では栗田艦隊は北方の敵機動部隊と戦う為に反転したと描かれた。 共通点……小沢艦隊の動向が不明であったことが栗田艦隊の判断に影響を与えた。 栗田長官は反転を主張したのに対し、宇垣司令官はレイテ湾突入を主張して対立した(あくまでも劇中の描写がそうだという意味であり、史実がそうだと申し上げている訳ではありません)。 最後に、レイテ沖海戦の戦没者に黙祷を捧げ、本稿を終わりに致します。 本文ゲーム画像:ブラウザゲーム「艦隊これくしょん~艦これ~」のスクリーンショットです。 レイテ沖海戦写真:U. National Archives/U. Naval History and Heritage Command (コートク).

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【艦これ冬イベ2018】E7甲「第二次エンガノ岬沖海戦」第二ゲージ攻略【捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(後篇)】

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第二次世界大戦中の1944年10月23日から25日にかけて、フィリピンの周辺海域で起こった、アメリカ・オーストラリア連合国軍と、日本との戦闘を「レイテ沖海戦」といいます。 シブヤン海海戦、スリガオ海峡海戦、エンガノ岬沖海戦、サマール沖海戦など一連の海戦をあわせた相称で、当時は「フィリピン沖海戦」と呼ばれていました。 その規模の大きさや戦域の広さから「人類史上最大の艦隊戦」といわれています。 連合国側の主な目的は、日本の勢力下にあったレイテ島の奪還。 一方で日本側の目的は、連合国軍の上陸を阻止して本土への侵攻を食い止めることです。 連合国軍の戦力は、航空母艦17隻、護衛空母18隻、戦艦12隻、重巡洋艦11隻、軽巡洋艦15隻、駆逐艦141隻、航空機約1000機、補助艦艇1500隻という圧倒的なもの。 これに対し日本軍は、稼働できるほぼすべての艦艇を投入しましたが、航空母艦4隻、戦艦9隻、重巡洋艦13隻、軽巡洋艦6隻、駆逐艦34隻、航空機約600機と、その差は歴然でした。 一連の海戦の結果、日本軍は連合国軍に、航空母艦1隻、護衛空母2隻、駆逐艦2隻の損失を与えることができましたが、日本軍は4隻の航空母艦が全滅し、不沈艦といわれていた「武蔵」をはじめとする戦艦3隻、重巡洋艦6隻、軽巡洋艦4隻、駆逐艦9隻が沈没しています。 戦死者は約7500人と、事実上壊滅してしまいます。 「レイテ沖海戦」に敗れて以降、日本軍は大規模な戦闘をおこなうことが不可能な状態となったのです。 連合国軍のフィリピン侵攻への対抗策として日本が計画したのが、「捷一号作戦」です。 これは、航空兵力によって連合国軍の機動部隊を牽制し、その隙を突いて戦艦を主力とする水上部隊が突撃して敵の艦隊を殲滅、上陸を阻止しようとする作戦でした。 1944年10月17日、連合国軍がレイテ湾に侵入したのを受け、日本軍は「捷一号作戦」を発令します。 栗田健男中将、西村祥治中将、志摩清英中将、小沢治三郎中将らに率いられた各艦隊が、レイテ湾へ向けて進軍を始めます。 10月24日、栗田健男中将率いる主力艦隊は、シブヤン海にさしかかったところで連合国軍に発見され、たび重なる空襲を受けた結果、戦艦「武蔵」を撃沈されてしまいました。 またスリガオ海峡では、西村祥治中将と志摩清英中将が率いる艦隊が連合国軍に発見されてしまいます。 攻撃が栗田の艦隊に集中しているうちに、西村の艦隊は単独でレイテ湾へ突入。 戦艦6隻を含む計79隻もの大艦隊と戦い、壊滅しました。 これを受けて志摩はレイテ湾への突入を断念し、戦場からの離脱を計りますが、連合国軍の追撃を受けてこちらも壊滅的被害を受けることとなります。 10月25日、エンガノ岬沖では、航空兵力によって敵の機動部隊を牽制するという役目を担った小沢治三郎中将率いる機動部隊を、連合国が襲撃。 かつて世界最強を誇った日本海軍機動部隊は壊滅してしまいます。 しかし小沢らが囮となって時間を稼いでいる間に、栗田の艦隊がレイテ湾への突入に成功。 サマール沖の海戦で、戦艦「大和」をはじめとする主力艦隊を用いて攻撃し、連合国軍の護衛空母群を蹴散らすことに成功しました。 栗田の艦隊は前日の戦闘で撃退したと考えられていたため、連合国軍は突然の事態にパニックとなり、多数の損害を被ることになったのです。 この戦いにおいて、日本軍は初めて「神風特別攻撃隊」、通称「特攻隊」を投入しています。 栗田の艦隊を攻撃しようとしていた連合国軍の護衛空母群に向かっていき、文字どおり身を挺して栗田艦隊を守りました。 しかしサマール沖の海戦後、栗田は「捷一号作戦」の目的である連合国軍の上陸部隊への攻撃をおこなわず、「北方の敵機動部隊を攻撃する」と反転してしまうのです。 結局目標としていた機動部隊を発見することはできず、そのまま撤退。 こうして日本海軍の最後の組織的戦闘となった「レイテ沖海戦」は終焉を迎えました。 栗田の判断は「謎の反転」「栗田ターン」と呼ばれ、その理由や結果が議論を巻き起こしています。 「レイテ沖海戦」の敗因は? 日本の「レイテ沖海戦」の敗因として、小沢の率いる艦隊の誘引が1日遅れたため、突入部隊が10月24日に発見され、襲撃を受けて甚大な損害を受けたことや、栗田と西村、志摩の連携がとれておらず、突入がバラバラになってしまったことなどが挙げられます。 そして最大の敗因とされているのが、先述した栗田健男の「謎の反転」です。 味方の機動部隊を囮にし、多くの損害を出しながらも連合国軍の護衛空母群を突破。 あとはほぼ丸裸状態の上陸部隊を攻撃すれば作戦成功という段階で、なぜ栗田は艦隊を反転させてしまったのでしょうか。 彼の判断をめぐっては、現在までさまざまな議論がされ、なかには「栗田中将が臆病風に吹かれた」など批判の声もありました。 彼が反転を決断した理由のひとつが、とある電文です。 栗田艦隊の北方100kmの地点に敵の機動部隊がいると伝えられ、栗田は反転してこの機動部隊を叩くことにしたのです。 ちなみに栗田は終戦後、取材に対して自分自身で判断をして決定したと述べていますが、実際には参謀たちによる会議がおこなわれ、全員一致で決められたことがわかっています。 「レイテ沖海戦」に対する海外の反応 栗田の判断について、イギリスの首相ウィンストン・チャーチルは著書のなかで、「この戦場と同様の経験をした者だけが、栗田を審判することができる」と擁護しています。 また、艦隊から海上に投げ出された連合国側の乗組員に日本軍が食糧や水を差し入れした、沈みゆく連合国軍の駆逐艦を日本の艦長が敬礼をしながら見送ったなど、武士道をもった戦い方がアメリカからも評価されました。 なかでも各国に強烈な印象を与えたのが「特攻隊」です。 レイテ島への上陸作戦を実行したレイ・ターバック大佐は「この戦闘で見られた新奇なもの」と表現し、「敵が100機の航空機を保有している場合、自殺的急降下攻撃に用いて艦船100隻を炎上させるかもしれない」と考えたそうです。 連合国軍第3艦隊の司令官を務めていたウィリアム・ハルゼー・ジュニアは、「切腹の文化があるというものの、誠に効果的なこの様な部隊を編成するために十分な隊員を集め得るとは、我々には信じられなかった」と証言しています。

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