今日好き滝本光。 今日好き公開オーディションメンバープロフィール!人気はだれ?|トレンドポップ

まつことブンブブーン(3月19日今井翼くん滝本美織ちゃんゲストの回): まつこのブログ

今日好き滝本光

COREZOコレゾ「自然の木、自分のココロと対話して、自分らしさを取り戻す大切さを伝える、唯一無二の木削り師」賞 滝本 ヨウ(たきもと よう)さん プロフィール 神奈川県横浜市 主宰 木削り師(マスター) ジャンル 木削り 自然と自分の心との対話 ふるさとづくり 受賞者のご紹介 滝本 ヨウ(たきもと よう)さんは、お父さんが日系アメリカ人、お母さんが日本人で、1949年、和歌山県那智勝浦町で生まれ、18歳まで日本で育った。 南カリフォルニア大(USC)で建築学を学び、卒業後、東京で22年間、都市計画の業務に携わる。 現在は、横浜市とロサンゼルスを拠点とする木削り師(マスター)で、ふるさと工房HOMEを主催し、広い視野で地域生活圏をベースに、「少年の心が喜ぶ」ふるさとづくりを、熊野やロサンゼルスなどで推進しておられるそうだ。 2014年8月、大津の山岡 康人さん、啓子さんご夫妻から「木削り師の滝本ヨウさんを講師に招いて、木削り教室を奥加河荘(おくかごそう)でやるねんけど、前夜、瀬田の花火大会もあるから、花火で一杯やれへん?」と、お誘い頂き、のこのこと「ヘルスステーションけんこう舎」さんに出掛けると、イベントスペースにシート代わりの大漁旗が敷かれ、大のおっちゃん、おばちゃんたちが車座になって、無心にというか、無邪気にセッセと木削りをしておられた。 「ヨウさんが予定より、早よ着きはったから、急遽、木削り教室、始まってしもた、ハハハハ。 」と、山岡さん。 「ハイハイ、こんにちは、木削りのヨウさんです。 これね、私の作品だけど、別に何の役にも立たないし、何の使い道もないの、ハハハハ。 でね、見るだけでなくて、さわって下さい。 」と、無造作に、玉子のような形のものの他、さまざまな色、形で、滑らかでツルッとした感触は共通の木片というか木の塊をいくつか手渡された。 木彫りと木削りの違いとは? ー ヨウさんが教えておられる木彫りって? 「木彫りじゃなくて木削りです。 木彫りって、熊の木彫りとか、これを彫り出そうというイメージがあって彫り出すでしょ?木には心地よく削れる部分もあれば、引っ掛かって削り難い固い部分もあります。 木削りは、木の気持ちに添って削っていくと、その木の自然な形が現れてきます。 だから、何ができるか削ってみないとわからない。 」 「『木彫り』はね、人間が作りたいイメージを形にするから、『人間が主役』で、『木削り』は、木が望む形を作るので、『木が主役』だから、全然違うでしょ?どちらがいいとか悪いとかではなくて、ただ、単純に立場が逆なの。 おもしろいでしょ?」 木削りの手順 ー その木削りの手順を教えて頂けますか? 木を選ぶー木の種類 「まずね、木を選んで頂きます。 これは地球上で最も長生きする木で、ブリストルコーンパインといって、樹齢5000年ぐらいまで生きる木です。 5000年前ですよ。 人類の歴史でいうと、新石器時が終わった頃に生まれた木で、とてもいい香りがします。 この神代杉は福井県の三方五湖から出てきた縄文時代の杉で、4000年以上、湖底や湿地帯で土に埋もれてじっと眠っていた木です。 これは屋久杉、昔の切り株を掘り起こした木です。 」 「私の個人的な感覚ですが、日本の木にはしっとり感があり、自然の優しさを感じますが、一方、アメリカの木には、無骨なおおらかさを感じます。 木削りをしていると、家具作家の友人たちとかが、端材を分けてくれて、日本やアメリカだけでなく、地球上のいろんな種類の木に出会います。 人との出会いと同じように、未だ削ったことのない素敵な木たちとの出会いも嬉しい楽しみのひとつです。 」 「毎回、10数種類の木片をたくさん用意します。 その中から気に入ったというよりも貴方を呼んでいる、しっくりと来る木があるはずですから、それを選んであげて下さい。 初心者に削りやすいのは、屋久杉や桐などの柔らかな材料です、と説明しても、最初から堅い材料やクセのある材料を選ぶ人がいます。 『苦労しますよ』と言われても手が出てしまうのも、その人の性格かも知れませんね。 」 削り 「『木削り』は、仕上がりの形を考えないで、その木が持つ自然な形に添って『無心に楽しく木を削る』作業です。 道具は、昔からある『切り出し』という小刀だけを使って削っていきます。 その木のチャームポイントを見つけておいて、それを活かすように、小刀を利き手で持ち、反対の手の親指で、小刀の背を押すようにして、全体を削ります。 深く削ろうとすると、刃が引っ掛かってしまうことが多いですから、できるだけ薄く削っていきます。 全体の形が整うと細かいところも削っていきます。 」 「自分の心地いいペースで削って下さい。 この時、人間と木の関係は対等であることが大切です。 頭で考えるのではなく、無心に楽しんで木を削っていると、木と対話し、自分の心と対話することができるようになり、自然と自分のことも好きになってくるようです。 」 磨き 「削るのが終わったら、磨きに入ります。 磨きは番手の荒い紙ヤスリから細かい番手にかけていきます。 5cm四方ぐらいの正方形にカットした紙ヤスリを2枚重ねてかけるとかけ易いです。 決してくしゃくしゃにしないよう丁寧に磨いて下さい。 ペーパー掛けの後、トクサという植物の茎を乾燥したものでさらに磨くと驚く程のツヤが出ます。 昔、トクサは爪や歯を磨くのにも使われていたそうで、先人達の知恵ですね。 」 ワックス 「最後に、蜜蝋と荏胡麻油を合せたワックスを木の皮や木肌の色を活かしたい部分には付かないように指で塗って仕上げます。 」 自慢大会 「完成したら、参加者全員で自分の作品の自慢大会をします。 」 作ったものを褒めるのは、自分を褒めること 「作ったものを褒める、自慢するというのは、自分を褒めることなんです。 日本の人は自分で自分のことを褒めないんですよ。 ヘンな民族ですね。 人がいくら褒めてくれても、そんなの関係ない、自分で自分を褒めないとダメです。 自分で自分を褒めると自分が好きになってきます。 「木削りをして、木に触れるってことは、自然に触れることなんですね。 だから、木を削ったり、磨いたりしていると、とにかく、フフフフ、幸せな感じがしてきて、でね、時々、とてつもなく感動するような作品ができることもあるんですよ。 そんな時はね、とにかく、自分のことを褒めるんですよ。 そうしているうちに、自分のことが嫌いな人も、だんだん好きになってくる。 実は、私は、どうしようもないぐらい自分のことを嫌っていたのにね、好きになっていったんです。 やっぱり、自然に触れるのはいいことですね。 」 「そんな感じの木削りで、やっていることはとてもシンプルなんですよね。 今日は、もう3時間ぐらいやっているので、皆さん仕上げに入っていますが・・・、(削っている木を落とした人に)あっ、また、落としてるーっ、そんな大切な貴方の宝物を落としたらダメでしょ、ハハハハ。 」 「ごめんなさい、滑っちゃいました、ハハハハ。 」と、落とした人。 というように、和気あいあいとした雰囲気の中、ゆっくりとした時間が流れている教室である。 自分の手を使う手作業を子供たちにこそやって欲しい 「こういう自分の手を使う手作業は、子供たちにやって欲しいんですよ。 なのに、今は、子供に刃物を使わせないでしょ?使い方を覚えさせておいた方が安全なのにね。 本来、子供は素直だからね、彼らは素晴らしいものを作れるし、できると、感動するんですよ。 感動するってことは、その子にとって、宝物だと思うんです。 自分の中に一生残るからね。 ストレスとか、何かが起こった時に、そんな少年時代に味わった感動が救ってくれます。 」 「木削りも私にとってはそうだったんですよ。 子供の頃、ふるさとの熊野で木削りをやっていたんです。 一番好きなことではなかったんですけどね。 子供の頃、やっていたから、大人になって苦しんでいる時、木を削った瞬間に、少年時代の記憶を思いだしたんです。 自然の中で、素敵な感動をいっぱいしていた子供の頃の自分とつながったんですね。 」 アタマではなく、ハートに尋ねること 「それでは、自慢しましょうか、最初は、自分の作品を触って下さいね。 木削りで出来た作品は、飾って置くのではなくで、出来れば、触って下さい。 こういうのは、木が立ちたがっている作品だから、テーブルとか、飾り棚に置いていいんですけど、時々、触って下さい。 触ると木からいいエネルギーをもらえますよ。 」 「じゃあ、皆さんの作品を左廻りで廻して、他の人の作品も触りましょう。 これも、なかなか素晴らしい作品で、綺麗ですね。 なんでこんなのが出てきたんでしょうね?引っ掛からないように削ったら、結果として自然に出てきた形なんですね。 これは、時間をかけていない割には、いいですね。 それは北海道のエンジュの木だね、熊の彫り物とかに使います。 こっちは可愛いですね。 見方によって、色んなものに見えますね。 販売してたら、買いたくなるよね、ハハハハ。 」 「自慢してもらう前に、質問を2つします。 アタマではなく、ハートに聞くんですよ。 いいですか?素直に答えて下さいよ。 最初の質問は、今日の木削りで作った自分の作品をいいモノが出来たなと心で感じている方は、左手を挙げて下さい。 あれ、どうして挙げないの?挙げて下さいよ、ハハハハ。 」 「では、2つ目の質問、今日の作品はかなりいいので、他の人より早く自慢したいという方は、右手を挙げて下さい。 えっ、誰も挙げないの?しょうがないねぇ、挙げなさいよ、ハハハハ。 ね、2つ目の質問は、アタマを使おうとするワケ、で、日本人は、ちょっと控えめになるんだよね。 その点、アメリカ人は、皆んな、ハイッ、ハイッ、ハイッて、挙げますね。 アメリカ人はちょっと自慢し過ぎというか、自己主張が強過ぎるのですが、日本の人は、ちょっと控えめ過ぎますね。 」 「次は、自分の作品のタイトルとそのチャームポイントを自慢して下さい。 」 「タイトルは、『のぞみ龍』です。 タレントの佐々木希(ささきのぞみ)さんみたいな嫁さんが欲しいです。 」(全員爆笑)と、参加者のおひとり。 「ハハハハ、私、その子、知らないんだけど、その作品のいいところは?」 「油を塗ると、コントラストがよりいい感じになりました。 」というように、自慢大会が進んで行く。 木削り教室が儲からないポイント 「ね、木削りってこういう部屋の中でも自然に触れることができてなかなかいいでしょ?」と、ヨウさん。 ー そうですね、練習したり、修行するのがキライなので、何よりも、初心者でもそれなりの作品が作れるっていうのがいいですね。 「ハハハハ、そうだね。 木工とかと違って、それなりのプロセスとか、訓練が要らないので、一度やり方を覚えると、何度も習いに来ないのが、この木削り教室が儲からないポイントだね、ハハハハ。 」 「木を削ったり、磨いたりしていると、特に磨いている時には、自分の気持ちがスッと入いるんですね、素直な自分の気持ちがね。 削る方は、どうしても削り過ぎになりがちですから、せっかくの木の個性、チャームポイントであるキズや節の部分、きれいな色の皮や木目まで削ってしまうことが多いので、気を付けないといけないんだけれど、磨く方は、磨けば磨く程、よくなりますね。 」 「この作品はね、削りの時から気持ちの入り方が強くて、磨きの時に、さらに気持ちを入れようとするのはわかるんだけど、磨きの音を聴いていると入ってないんですよ。 最初、音が良くなかったんだけど、途中からいい音になってきて、そこから素直な気持ちが入ったと思いますよ。 本人はかなり気に入ってましたね。 」 「普段は10人ぐらいの皆さんと木削り教室をするのですが、ジャンケンで生徒さんが負けるとお手伝いをするので、ジャンケンばかりで、自分の作品を作れないこともよくあります。 今日は、いい生徒さんばかりだったので、神代杉で作品を作れました。 こういう古い木は時間を吸収しているようないい感じがあります。 タイトルは、『素直さ』にしました。 何も考えないで削って、気持ちよく磨きました。 」 木削りを始めたワケ 「皆さんはご自分のことは好きですか?人は皆、元来、『素直』で、『好奇心』があり、『直感力』を使って生きていました。 そして、おいしいものや美しいものに出会った時には、『感動』し、魂が喜ぶことを中心にしていました。 人間中心にはかりごとを進める『機械文明』よりも、自然中心に暮らす手づくりの『文化』を大切にしてきました。 」 「私が木削りを始めたきっかけはストレス解消だったんですよ。 ストレスがいっぱい溜まっていて、自分のことが、嫌いで、嫌いで仕方なかったんです。 自殺までは考えなかったけど、かなり精神的に辛い時期がありました。 それを救ってくれたのが木削りでした。 」 「今からもう20年前のことですが、福知山で木工の仕事をしていた親友からクリスマスに宅配便が届き、中を開けると、桐のサヤに入った1本の『切り出し』ナイフといくつかの素敵な木片が入っていました。 この『切り出し』が、今の私の『木削り』につながるきっかけをつくってくれた小刀なのです。 」 「私は、その頃、40代半ばで、東京のコンサルタント会社に勤め、都市計画やまちづくりの仕事をしていました。 ココロが望むことよりもアタマが考えたはかりごとを優先する生活が続き、精神的に鬱の状態で、不眠症に陥っていました。 人と会って話をするのが苦痛で、思うように出来ない自分自身を嫌っていました。 自分を嫌うのはとても辛いことですが、そういう時期が約3年間続きました。 」 「親友が送ってくれた『切り出し』で木削りを始めた時、突然、遠い昔の少年時代の感覚が蘇ってきました。 それは、ふるさとの自然の中で遊び呆けていた楽しい思い出であり、モコモコした常緑の照葉樹の森で、仲間たちと木削りをしていた時の感覚です。 30年以上も忘れていた少年時代の自分の感性との再会は、自然に触れる楽しさであり、素直な自分を思い出させてくれました。 」 アタマで考えたこととココロや魂が喜ぶことの違い 「アタマで考えたはかりごとではなく、ココロや魂が喜ぶことをするのは大切なことです。 ココロと魂とアタマの関係はよくわかりませんが、アタマで考えたことは人間中心のはかりごとであり、魂が望んでいることではないようです。 私はこれまで、ココロが喜ぶことをするのはいいことだと思っていたのですが、魂ではなく、ココロを中心に動いていると、体調を崩すんですね。 」 「昨年の夏から秋にかけて、北海道や九州等へ、ハードな木削りの旅をしました。 ココロが喜ぶ旅でしたが、ココロは身体のことまでは心配してくれず、身体が疲れて悲鳴を上げてしまいました。 心身の調和があって初めて魂が望むいい動き方が出来るのだと、遅ればせながら、やっと気付きました。 」 木削りは、木に触れて自然を感じる時間 「樹木は、水と太陽のエネルギーを使って光合成を行ない、酸素を作り出します。 日本の木を削っているとき、削っている木片から『しっとりさ』を感じることがありますが、外国の木からはあまり感じません。 日本の自然は、それほど豊かな『水』に恵まれているのでしょうね。 全ての生き物は、自然環境の中でつながり、生かされています。 そして、海・山・川の自然もみんな水の循環を通じてつながっており、『木』と『土』と『水』の大切さを感じます。 森は、本来、『木』と『土』と『水』という字でできているのだそうです。 」 「また、『森は海の恋人』という素敵なフレーズがありますが、地球は自然界の絶妙なバランスで保たれています。 山や川を壊せば、森の栄養分が海へ流れてこなくなり、その結果、海に棲む魚や貝が減少することが実証されています。 私たちは、テレビやパソコンから得た人間中心のはかりごとの情報に振り回されて、本当に必要なホンモノが見えなくなっています。 そして、『自然を意識して生きる』という縄文人(びと)からの伝承を忘れてしまっているようです。 」 「親友がくれた1本の『切り出し』が、私の病んだココロを癒してくれて、日本とアメリカの両方で、『木削り教室』をするきっかけになりました。 木削りは、木に触れて自然を感じる時間です。 そして、素直な自分に還り、自分自身を好きになります。 その親友が送ってくれた『切り出し』は、私の大切な宝物です。 」 木削り師としての活動 ー どれくらいのサイクルで日米を行き来しておられるのですか? 「1年の半分は横浜を拠点に、日本全国にいる友人たちのネットワークで教室を開き、残りの半年は、亡くなった父の家があるロサンゼルスを拠点に、懇意にしているギャラリーを中心に教室を開いていて、大体、3ヵ月毎に行き来しています。 」 ー いつぐらいから木削り師だけで生活されるようになられたのですか? 「それまでの仕事は都市計画とかまちづくりで、アタマで考えたことに縛られ、リゾート開発なんかは、自然破壊につながっているかもしれないという心配ごとやストレスにつながっていました。 最初は、自分にとっての癒しで、木を削っていたのですが、次第に、そのおもしろさを多くの人たちにも知ってもらいたいと思うようになりました。 4年間ぐらいは前の仕事と並行してやっていましたが、会社を辞めたのは1998年でした。 」 「今日は、久々に、皆さんと一緒に楽しい木削りができました。 有難うございました。 木削り仲間を増やしましょう。 スケジュールさえあえば、どこへでも行きますよ。 」 「今回、あなたは木削りできなくてかわいそうだから、今度、一緒に削りたくなるように、私の作品をどれでもひとつ差し上げましょう。 」と、おっしゃって下さったので、見本で見せて頂いた時から目をつけていた、虎杢のような杢目がきれいな作品を選んだら、「いいのを選びましたね。 私も気に入っている作品です。 」と、ヨウさん。 「この作品を選んだ自分を褒めてあげます。 」と応えたら、ニッコリとして下さった。 COREZO コレゾ 財団・賞の趣旨をご説明して、受賞のお願いをしたところ、快諾して下さった。 少し立ち止まって、無心で木を削る楽しさ その夜は、木削り教室の打ち上げで、瀬田の花火大会の花火を見ながら、一杯やり、翌日は、奥加河荘(おくかごそう)で、子供たちとお母さん方との木削り教室。 年長のお子さんでも小学校に上がるかどうかの年齢だったので、「切り出し」を持ったのも初めてなら、刃物で木を削るのも初めてのようで、どの子も四苦八苦していたが、とても楽しそうだった。 山岡さんから木削り教室の話を聞いても、イメージが湧かなかったし、実際に木削り教室を見ても、初めの内は、何の使い道もないものを削ること自体が、「?」で、それにお金を払って参加している人たちは、「??」、さらに、ワタクシは、自分がヤなヤツであることをはっきり自覚していて、そんな自分もとっても好きなので、ヨウさんのように自分を嫌いになったことがなく、自分を好きになると言われても、「???」で、正直、何の意味があるのかさっぱり分からん、という状態であった。 しかし、見たり聞いたりしている内に、参加している人たち全員がまるで子供のように(翌日、実際に子供たちの目が輝くのを見ている)目を輝かせて、楽しそうに、夢中で木片を削り、磨いていておられて、やってみると楽しそうなのは伝わって来た。 残念ながら、今回は両日とも、教室に参加する時間が無かったが、この原稿を作成する前に、ネットで「切り出し」を買って、教えてもらった通り、家にあった杉の木片を削ってみると、実に、楽しいのである。 あっという間に2〜3時間が経っていた。 木のなりたい形を、木に聞きながら、何も考えないで無心に楽しんで木を削っていると、木と対話し、自分の心と対話することができるようになるそうだが、削りながら、子供の頃、夢中になって泥だんごをつくって磨いて遊んだことを思い出していた。 「自然が主役」か「人間が主役」か…? 学校の授業で、子供たちにこの「木削り」を教えるハズがなく、ごく常識的には、「木彫り」であろう。 「木彫り」は、「人間が主役」だから、彫る人間のイメージする力、表現力、木工技術等々によって、確実に、上手、下手の優劣が生まれる。 さらに、成績を付ける為に、評価の対象になり、順位が付けられると、競争原理も働く。 上手にできれば、同じものをいくつも作れるかもしれないし、他人から褒められ、評価されて、自慢できるけど、上手にできなければ、評価されず、自分のことが嫌いになるかもしれない。 ある意味、あの経済と効率を最優先し、競争原理が仕組まれた現代社会そのものである。 その点、「木削り」は、「木が主役」だから、誰がどんなものを削り出しても、上手、下手も、成功も失敗もない。 何の使い道がない作品でも、他のどこにもないその木と自分だけの作品であり、例え、同じ人間が同じ材料から削っても全く同じものは二度と作れないし、いつでもオンリーワンの世界だから、自分で自分の作品と作った自分をどう褒めようが勝手なのである。 本来、「自然が主役」で、人間は自然に寄り添って生きてきたはずだが、現代社会は、「人間が主役」になって、人間の都合、それもごく少数の人たちの思惑で、あの経済と効率を最優先し、競争原理が働く社会のシステムがつくられ、それに組み込まれた大多数の人々は搾取され続け、自然や環境も搾取され、破壊され続けている。 そのシステムから弾き出された人は、自分自身も、自分の居場所も行き場も失って、ココロを病む人が増えているのだろう。 「木削り」は、自分の素晴らしさを改めて見つめ直し、自分らしさを取り戻す、自分探しの作業で、できた作品はその時の自分自身なのかもしれない。 ヨウさんが始めた「木削り」は、単純な作業のようで、奥が深い。 COREZO コレゾ 「自然の木、自分のココロと対話して、自分らしさを取り戻す大切さを伝える、唯一無二の木削り師」である。 滝本 ヨウ(たきもと よう)さんに関するお問い合わせは メールで、info corezo. COREZO(コレゾ)賞 事務局 初稿;2014.09.11. 最終取材;2014.08. 最終更新;2014.09.11. 文責;平野 龍平.

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まつことブンブブーン(3月19日今井翼くん滝本美織ちゃんゲストの回): まつこのブログ

今日好き滝本光

『今日好き』とは、運命の恋を見つける、恋の修学旅行をテーマとした恋愛リアリティーショー。 ルールは異国の地で二泊三日を繰り返し、最終日に告白。 そこでカップルになったら終了、なれなかったら次の旅を続けるかどうか選べる、というもの。 恋愛見届け人はNiki、鷲尾伶菜(E-girls)、井上裕介(NON STYLE)だ。 今回は「おうち時間特別編 2」として、「青い春編」で誕生したカップル3組がそれぞれの自宅からリモートで登場。 成立してからの近況やお互いに対する本音、撮影秘話に迫るスペシャル企画だ。 リモート出演したのは、みなみ&りの(みなりの)、しゅん&さら(しゅんさら)、りゅうた&なる(りゅうなる)の3組。 そして番組中盤からは、『今日好き』史上初となる、公開生オーディションの全容が明らかとなった。 応募総数1800名の中から、恋の旅に参加する男女1名ずつが次回の生放送中に決定する。 突然の発表に、何も聞かされていなかった井上と鷲尾は「生放送?」「出んの?」「知らない!」と状況が飲み込めない様子。 次回の放送までにSNS投票で男女3名ずつが選出され、生放送で1名ずつが最終決定するシステムについても、初耳の井上は「(男女)6名(次シーズンに)出したりや!」「1人じゃないとあかんなんてことあらへんやん」とツッコミまくりだったが、Nikiが「いろんなバランスがあるんですよ」と必死に企画をフォローした。 続いて1800人の中から、選考に残った男女16名の顔ぶれを紹介。 女子候補者は、告白された回数16回というモテモテ女子・石川涼楓(NO.

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応募総数1800名!『今日好き』公開生オーディション決定、候補者男女16名が公開

今日好き滝本光

旧校舎の部室に異世界からのゲートが突如開いた。 驚く僕の前に、猫耳の探索者と闇の吸血鬼、そして光の天使が現れる。 彼女たちは世界を救うある使命を担っていた。 少年の運命の出会いと目覚めの物語。 名作『NHKにようこそ!』から17年。 そこから這い出てきたのは、猫耳やしっぽを身につけた美しい女の子だった。 以来ふみひろの前には、美少女という名の天使が次々と現れる。 普通の少年に突然訪れるハーレムな日常。 純文学やライトノベルを読んでも救われない。 青春の蹉跌も存在しない。 だが、確かにこれは滝本竜彦の作品なのだ」(「本の旅人」2018年12月号より) 未だに一体何をどう説明したら良いのかわかりませんが…。 おそらく、この作品を待ち望んでいた方々は、今まで滝本さんの作品に触れていると思います。 そして、彼がエクストリームな暗黒青春を表現してしまった反動で、長きにわたるスランプに悩まされてきたことも、スピリチュアルな瞑想やナンパの実践を経て、心を作り直していたこともご存じでしょう。 であれば、今まで滝本竜彦という作家を悩ませてきた「あれ」を、彼の文章を通じて体験したことがあるはず。 「あれ」ですよ。 鏡に映った自分がいつも立ちはだかっていて、そいつが自分の惨めさや恥を突きつけてくる。 だから部屋のドアから一歩も出ていけない…。 出て行けるのは、どうしようもなく追い詰められたクライシス的精神状態の時だけ…。 そうしてようやく出ていったにしても、目に映るのは悲惨な、どうしようもない無常な現実ばかり…。 素晴らしいと思ったものも、輝いていた時代も何もかもが色あせて、目の前に浮かぶのは人生の砂漠、あるいはグロテスクな地獄…とでもいうような感覚。 その感覚からどうやって再生していったのかという、彼のたどったその軌跡が、小説中の登場人物と奇妙にリンクして、いつしか自分までも「それ」を体験しているような気がします。 かつて滝本竜彦に触れた方にとっては、必読ではないでしょうか。 作風の変化に戸惑う人は多いでしょうが、そんな人にこそ、最後まで読んでもらいたいと思います。 ボクはそれが伝えたくてこの文を書いていますが…伝わるのでしょうか…NHKにようこそのような作品に共感し、今なお心の中に佐藤君やチェーンソー男やムーの少年達を持っている人にこそ、この作品を読んでもらいたい…。 最後まで。 そう思います。 作者である滝本竜彦の作品は初期の三作「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」「NHKにようこそ!」「超人計画」を読んで以来。 特に前二作は15年経っても本棚に並べているぐらいには気に入ったのだけど、その後すっかり疎遠に。 この度久しぶりに新作を出したと聞いて「いったいこれまで何をしていたのだろう?」と過ぎた時間の長さに驚きながら拝読してみる事に。 物語は若干不登校気味というか遅刻の常習者である主人公のふみひろが珍しく顔を出した学校で担任の吉岡から「一国一城の主にならないか?」と旧校舎にある使われていない部屋を「部室」としてあてがわれる所から始まる。 元は写真部の部室だったと思しきその部屋の様子を確かめたふみひろだったが、照明に使っていたスマホのバッテリーも切れた事もあり帰ろうとするものの何故かドアが開かない。 真っ暗な部室の中に閉じ込められていたふみひろだが、その目の前で備品のロッカーから光が漏れ、扉が開くと中から猫耳と尻尾を生やした女性が登場。 ミーニャと名乗るその女性は自らを「エクスプローラー」と名乗り「闇の迷宮」の中を探索してその最奥にいる「闇の魔術師」に大切な伝言を届けようとしていたらしい。 ミーニャからエクスプローラーの祝福を受けたふみひろは「真の自分」に気付くという不思議な叡智を得るが、部屋を出てしまうとこの叡智は失われてしまうらしい。 部屋の外から声を掛けてきた幼馴染のクラスメイト・耶麻川だったが、帰り道で突如三つ編みを解き、黒ぶち眼鏡を投げ捨てて「優等生は今日で終わり」と宣言。 それを証明するかのように冬になった頃、耶麻川が本当に不良になって旧校舎の部室に不良を集め「カジュアルな性行為」に耽っているという信じがたい噂が伝わってくる事に…… ……またえらく作風変わったなあ、と15年という時間の中で滝本竜彦が遂げた変貌に呆然とさせられた。 少なくとも「NHKにようこそ!」とか「超人計画」の頃の作風を期待して読むと「え、何これ」と戸惑うのは間違いないかと。 特にストーリーラインが明確だった「NHK」みたいな作品を期待していると「これはどう楽しんだら良いんだ」となりそうな取っ付きにくさがある。 ストーリーの方を紹介させて貰おうと思っても、明確な筋立てというものがあまり存在していないので紹介の仕方に非常に困る。 序盤でふみひろが出会うミーニャが探索していた「闇の迷宮」に自分もエクスプローラーとして目覚めた幼馴染の耶麻川が旅立つのを見送るまではそれなりに「筋」という物を追えたのだけど、そこから先はふみひろの日常に入れ替わり立ち代わりで奇妙な少女たちが絡んでくる様子が描かれる事になる。 一応話の方は基本的に主人公であるふみひろの語りで進められるのだけど、所々で語り手が作中で登場する複数のヒロインに代わって進められる場面も多い。 何しろ追うべき「筋」らしい「筋」があまり無いので中盤までは「いったい何なんだ、これは」と戸惑いながら読む事になった。 それじゃ全く詰まらん作品だったのかと言うと登場人物がのキャラがやたらと立っているので、前半から中盤にかけては次々と登場する奇妙なヒロインの言動を中心に楽しませて貰う事になった。 特にふみひろの母親のキャラは異様と言うか「よくまあ、こんな訳の分からんキャラを思い付くもんだ」と若干呆れる位に特異。 何しろ事あるごとに息子であるふみひろに「今日こそはママとセックスしましょうね」と性行為を求めてくるのだからぶっ飛んでいる。 基本的に対人恐怖症の気があって、その一方で高校生の頃から性欲を持て余し、究極のオナニーを探し求めていたというこの母親の回想シーンが中心となる第二章は圧巻。 冷凍精子を買い求めてふみひろを処女懐胎するまでの流れは現実と妄想の被膜がどこで破れてしまったのかと目を白黒させながら読む羽目に。 そんな筋を追えんながらも「変なキャラ」を楽しみながら読み進めていくと、中盤あたりからようやく「ああ、これは創作についての話なのか」という事が朧気ながらに見えてくる。 ヒロインたちの言動や現実と妄想の被膜を飛び越えながら描かれる作中の世界の様子から「自分の内面を探索し、自分の奥の方にある『何か』をつかみ取り、形にする」という創作の在り方を描こうとしているのだな、という事が何とはなしに読者に伝わってくる仕様になっている。 序盤から出てくるエクスプローラーやふみひろの母親のオナニー狂いなんかもこういう「創作」に繋がっていたんだな、という事が見えてくるのである(「創作は作家のオナニー」と言ったのは筒井康隆だったか?) この迷宮の様な自分の奥から何かをつかみ取り、持ち帰ろうとする探索者の描かれ方を見て伝わってくるのは「長い事書く苦しみを味わっていたんだなあ」という疎遠になっていた15年間に滝本竜彦が味わった苦労みたいなものだろうか?無論、創作の苦しみは滝本竜彦だけが味わう物では無いのだろうけど、それでも自らの内側からまだ形になっていない「ことば」を小説という形にして産み出すまでに作家が味わうものを独特の形で描ている事は確かである。 なので半分小説であり、半分は滝本竜彦なりの創作論みたいな物なのかなあと思って読んだ方が良いのかも。 そういう意味で純粋に「小説」としての面白さを求める人にとっては「うーん?」となってしまう代物ではあるし万人向けの作品であるかと言えばかなり明確に「NO」と言わざるを得ない。 2010年頃に出した二作には縁がなく、どんな風に過ごしているかまるで掴めなくなっていた滝本竜彦が立て続けに三作出した後、どれだけ「生みの苦しみ」に喘いでいたかを知る手掛かりになる「創作を巡る物語」であった。 すごく面白かった。 ファンタジーノベルで、騎士団長の村上春樹より全然上だった。 村上作品を読むときの解釈や謎解きが不要だからだ。 読めば滝本が書きたかった光が素直に感じられた。 だがそれは滝本竜彦の迷走というわかりやすい物語に熟知していたからでもあるが。 ファンタジーノベルとしては筋が入り組んで、物語としてもあえて放り投げたきらいもあるからわかりずらかったが、滝本竜彦という書き手の迷走を知る読み手には色々返ってわかりやすい。 村上春樹について述べるとカフカなどは普遍的テーマで謎解きもできてわかりやすい。 だが騎士団長は謎解きができずわかりずらい。 この作品について述べると滝本の自らの生き様が謎解きになってわかりやすかった。 やはり謎は謎解きがないとダメだ。 それができてた点で騎士団長の春樹より上だった。 滝本竜彦はその意味で私小説的な作家なのだろう。 この本を読んで訳がわからなかった読者は過去作やネットの履歴を見ればいいだろう。 そういう外部の物語に依存するのがダメだという向きにはもっと私小説的な私小説やトルーキンのような本格ファンタジーを読めばいいだろう。 滝本竜彦に提案なのだが村上春樹のようにジョギングして私生活をできる限り健康にし、そこから溢れる闇と光を書いたらいいんじゃないだろうか。 私小説的に太宰の真似をすると本気で破綻しそうだ。 私は令和の村上春樹を新キャッチコピーにジョギングするといいと思う。 今更太宰ってのもなあ。 光だが届くんだが弱い気がした。 でも読後感は良かった この作品を語るには、まず、作者である滝本竜彦自身について述べなくてはならないだろう。 彼の作品は全般を通して、「自我を形成するシステムそのものを理解する眼差し」をテーマに据えており、その考えの根本には投影と抑圧というフロイト流の無意識の概念とが密接に絡みついている。 この点で重要なのは、著者はある種自らテーマとする無意識にすら、アイロニーに満ちた嘲笑を投げかける点にある。 著者がスピリチュアルに傾倒し、頭がおかしくなった……という理解をしている人も多いだろうが、そうではない。 元々滝本竜彦は、自らのテーマを作品にするために、瞑想など無意識を上手く取り扱う術を身につけることで、自我の問題を克服しようとしたのだ。 それら全ては単に創作論に還元されている。 一般の人の目から見れば無意識の理解というテーマはどうにも理解し難く、事実著者自身も、それに対して嘲笑的に対峙せざるをえなかった。 だからこそ、深くこの問題を取り扱った「ムーの少年」では日常からの遊離を全面に押し出したはいいものの、それはどこかぎこちなく、結局は日常に帰ってきてしまう。 この挫折の経験こそ、著者が長い時間をかけ、ゆっくりと創作=無意識というテーマに向き合うに至った経緯なのだろう。 そしてその目論見は、ある部分では成功している。 では「ライト・ノベル」の感想に移る。 本作を読んだ人の多くが抱くであろう感想は、まず、『意味が分からない』だろう。 これには大きく分けて三つの理由が存在する。 一つ目は物語の展開上の問題だ。 エンタメ小説にあるべき軸というか、目的が存在しない。 これはかなり顕著で、言ってしまえば、どこを重心的に読み進めればいいかの基準が小説内部ではなく、著者のテーマを同じくする別冊「NHK」や「ムーの少年」に依拠している。 なにせ、この物語単独で創作それ自体を物語の軸として読み進めることができるのは物語が半分以上進んでからなのだ。 二つ目は、『これまでの滝本作品と比べて変わりすぎている』からだ。 非日常こそ前提として存在しており、帰ってこない。 これは現実を舞台にしたある種のファンタジー小説と見るべきだろう。 これまでの滝本作品は徹底して現実に帰っていた。 この大きな齟齬が、不理解への足がかりだろう。 さて三つ目は、『結局何の物語だったのか』という消化不良にある。 文中でそれを否定してようやく違うと理解することもできるが、これまで追ってきたファンとしては肩透かしも歪めない。 著者の掲げる光の小説に対して、一読者の私は、私自身ではなく、滝本竜彦本人がこのような作品を書ききったことに多大な称賛を送りたいが、私自身に関しては、未だぼんやりとした高揚感と不安とが入り混じり、困惑している。 「面白かった?」と問われれば、「えぇ」と答えるだろうが、それは恐らく、本単体での評価ではなく、二十年近くかかったこの本の経緯と滝本竜彦という作家の存在ゆえだろう。 あと、ハーブ園を踊るところはとてもよかったです。

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