植松 被告 両親。 普通の青年が知的障害者施設で19人を殺害するまで。元交際相手や同級生が語る姿と、植松被告の言葉に思う【相模原事件裁判傍聴記録】

植松聖の親の現在は?! 漫画家であることもバレているが・・・

植松 被告 両親

相模原障害者施設殺傷事件犯人の植松聖。 彼の生い立ちやその犯行に及んだ思考に 影響があったと噂されている両親の 職業についてなど、調べてみました。 Sponsored Link 植松聖の相模原障害者殺傷事件 相模原障害者殺傷事件とは、2016年7月に 起きた神奈川県立の知的障碍者福祉施設に 元施設職員の男が侵入し、刃物で19人を刺殺 関係者含めて26人に重軽傷を負わせたという 大量殺人事件です。 戦後最悪の大量殺人事件として日本中に 衝撃を与えました。 その侵入した元施設職員の男と言うのが 植松聖被告です。 この最悪な事件の容疑者という事なのですが 各メディア等に対する態度は非常に丁寧なもので そこでもまたある種の驚きを与えています。 なぜ植松聖が犯行に及んだのか、その生い立ちから 追ってみます。 植松聖の生い立ち~父親の教員を目指して 神奈川県相模原市で生まれ、兄弟は居らず両親との 3人家族で、父親は諸学校教諭で、母親は漫画家だそうです。 大学時代の学生生活や友人らとの関係は比較的良好で あったそうです。 また、近隣住人や知人からの証言でも 「子供が大好きな人、うちの子供ともよく遊んでもらっていた」 「事件を起こすような子じゃない」 「最近金髪にしたりして急に見た目が変わった。 好青年 だったのにどうしたんだろう」 「とても明るく、挨拶もしっかりしてくれていた」 など、とても印象の良い青年だったと語られています。 しかし 「急に金髪にした」との話があった通り 20代前半くらいから不良仲間と思われる交友関係を持ち その頃には上半身から下半身に至るまで刺青まで入れています。 父と同じく小学校教諭を目指していた植松聖は この刺青が原因でその道を絶たれていたようです。 そのため大学卒業後は運送業などの職を転々としていたとか。 元々家族3人で暮らしていたそうですが、3-4年ほど 前に両親は家から出て行ったとのことで、現在一人暮 らしとのこと。 何故両親が出て行ったのかはまだ発表されていませんが 出ていく前に大きな叫び声などが聞こえたとの証言もあり 何かしらの家族間トラブルがあったと思われます。 今年2月には衆議院議長公邸に行って 「障害者が安楽死できる世界を」という題名で 障害者抹殺計画・殺害の見返り・自身のプロフィールなどを 記載した手紙を届けるなど、行動の異変が見られています。 施設に就職した当初は 「施設の入所者がかわいい」と 意欲的に働いていましたが、2年前ほどから 「思い通りにいかない」と話していたとか。 その頃に元職員の女性は施設職員から 「植松聖が入所者に暴力をふるっていて、どう対応して良いかわからず困っている」 と相談を受けた事があったそうです。 また施設職員の同僚に 「重度障碍者を殺す」などと 話していたらしく、施設側は県警に通報し、病院で 精神病についての診察などを受けさせました。 その結果躁病と診断され 「他害の恐れがある」として 精神保健福祉法に基づき措置入院させました。 その時に大麻の陽性反応も出ていたそうです。 しかし2週間ほどで退院し、そこから無職の 生活を送っていたようです。 また、最近になって噂になっていた事項に、植松聖が 在日韓国人であり 「韓国の教科書・在日特権・韓鶴子 池田大作・統一教会」などのキーワードを含めた記事や 動画などが出回っていました。 この噂もキーワード群もネットで出回っていた噂であり 真偽の程は解りません。 しかしどちらにせよ許される犯行ではありません。 Sponsored Link 植松聖の母親はホラー漫画家が影響した? 植松聖の母親は、1990年代からホラー漫画家として 活躍していたようです。 つまり植松聖が暮らしていた 「実家」が母親の 仕事場だったそうです。 こういう事件に 「漫画」等が関わっていたと される場合、幼少期の頃に母親の描くホラー漫画を 読んで 「母親がホラー漫画家だったから息子は殺人を考えた」 と言う話になりかねません。 しかし結局は受取(読者)側が持つモラル等の影響が 大きい問題ですよね。 これによって世の 「ホラー漫画家」や 「ホラー漫画」 自体を叩き始めることが起こらない事を願います。 Sponsored Link おわりに 重度障害者だけを殺傷して回るという卑劣な犯行であり、いくらメディア他に対する態度が丁寧であろうと、許される行動ではありません。 被害者の方々のご冥福と、ご家族の出来るだけの心の安寧がありますように….

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WEB特集 動揺も見え 言いよどむ被告「あなたの大切な人は誰ですか」

植松 被告 両親

初日、最初に質問に立ったのは被告の弁護士です。 裁判で唯一の争点となっている「責任能力」について尋ねました。 (被告の弁護士) 「我々弁護士が、どのような主張をしているか知っていますか」。 (植松被告) 「はい知っています。 心神喪失、こう弱を理由に、減刑もしくは無罪を主張しています」 「自分は責任能力について争うのは間違っていると思います。 責任能力があると考えています」 「責任能力がなければ即死刑にするべきだと思っています」 責任能力が「あれば」ではなく「なければ」死刑だという被告。 無罪を主張する弁護士に真っ向から反対意見を述べました。 この日の法廷で、自身が否定している「意思疎通できない人」として「心神喪失者」を挙げた被告、自分はそうではないと示すため「責任能力がある」という主張にこだわっているように見えました。 一方で事件を起こすまでの経緯についてこう発言しました。 (被告) 「計画を50人くらいの友人らに話しました。 半分以上の人に同意や理解をもらったと思っています」 (被告の弁護士) 「同意とはどんなことばで?」 (被告) 「『重度障害者を殺す』と言ったときが一番笑いが取れました」 (被告の弁護士) 「それを賛成と受け止めたのですか」 (被告) 「それが真実だから笑いが起きたのだと思います」 あまりに現実離れしていて笑うしかなかった人もいたかも知れません。 「笑い」を「殺人への同意」と解釈したという被告。 さらに安楽死と大麻とカジノを合法化すべきだと話し、大麻については自ら発言の機会を求め、ひときわ大きな声で持論を展開していました。 無罪を主張するために質問していた弁護士は、当初の予定を大幅に短縮して被告人質問を終えました。 3日目と4日目の被告人質問。 12年前に始まった被害者参加制度を使って法廷に立ったのは遺族と被害者家族、その代理人の弁護士たちでした。 事件で命を奪われたひとり、法廷で「甲Eさん」と呼ばれる60歳の女性の弟である男性。 遺族の中でただひとり被告人質問に臨みました。 男性はこの間、法廷で凄惨な事件の詳細が読み上げられ、被告の差別的な主張が繰り返される中でも、初公判から連日足を運び審理の様子を見つめてきました。 黒いスーツにネクタイ姿で法廷に立った男性は質問を始めました。 (60歳女性の弟) 「私は切ない裁判だなと思っているのですが、植松聖さんはいかがですか」 (被告) 「そう思います」 (60歳女性の弟) 「私は匿名のお願いをしましたがどう思いますか」 (被告) 「仕方ないと思います」 男性は被告を「植松聖さん」と呼びながら、終始、抑制的で丁寧な口調で聞いていきます。 事件当日のことについて。 (60歳女性の弟) 「私は放心状態で、殺害された姉の安らかな寝顔に安心して涙が止まりませんでした」 男性は涙をこらえながら続けました。 (60歳女性の弟) 「裁判は残酷だなと思います。 詳しい状況、姉の死にざまを教えてください」 植松被告は淡々と答えました。 (被告) 「申し訳ありませんが、細かく死にざまなどは見ていません。 たぶん3回以上は刺したと思います」 (60歳女性の弟) 「私はお年寄りや子どもは助けないといけないと思いながら生活をしています。 今回の事件は、ただの弱いものいじめではないかと思うのですがどうですか」 (被告) 「申し訳ありませんが、そうは思いません」 男性は質問を重ねていきます。 (60歳女性の弟) 「植松聖さん、大切な人は誰ですか」 (被告) 「大切な人…」 思わず言いよどむ被告に男性は続けます。 (60歳女性の弟) 「私は家族とか友達、仲間、身近な人が大切なのですが」 すると被告はこう答えました。 (被告) 「…大切な人はいい人です」 (60歳女性の弟) 「ほかには?」 (被告) 「ありません」 具体的な「誰か」をあげることのなかった被告、その後も言いよどむ場面がありました。 (60歳女性の弟) 「植松聖さん、自分を好きですか」 「コンプレックスが事件を起こしたのではないですか」 (被告) 「確かに……こんなことをしないで…社会…」 ことばが出てこない植松被告に男性が「ゆっくりでいいですよ」と声をかけると。 (被告) 「歌手とか野球選手とかになれるなら、事件を起こさずになっています」 (60歳女性の弟) 「野球選手と事件を起こしたことはかけ離れています」 (被告) 「なれるならそっちを選びます」 野球選手になることと45人を殺傷したことを並べる被告。 男性がどう感じているのか気になって目を向けましたが、男性はその後も冷静に質問を続けていきました。 そして最後には。 (60歳女性の弟) 「最後に植松聖さん、姉を殺してどう責任を取ってくれるんですか」 (被告) 「長年育ててこられたお母さんのことを思うといたたまれなく思います」 「それでも重度障害者を育てるのは間違っていると思います」 男性は「切なくなってきたのでこれで終わります」と述べて質問を終えました。 激情や怒りをぶつけることなく子どもに諭すように語りかけた姿勢からは、この3年半、どうすれば被告に言葉が届くのか悩み苦しんできた男性のせめてもの願いが込められていたように感じました。 続いて事件で大けがをした尾野一矢さんの父親の尾野剛志さんが法廷に立ちました。 尾野さんは、被害者が匿名となる中で事件直後からずっと一矢さんの名前をだしてその生きる姿を伝えようとしてきました。 被告人質問で尾野さんは次のように問いかけました。 (尾野さん) 「あなたは重度障害者と接していて意思疎通しようと努力したことはありましたか」 被告は「あります」と即答しましたが、「どういうときですか」と追加で問われると「どういうとき…」と5回ほど繰り返しながら自問したのち、「普段から意思疎通がとれるように接していたので、『ここ』ということはありません」と述べるにとどまり、具体的には答えませんでした。 尾野さんが「意思疎通できるとは何か」と尋ねたのに対し、被告は「名前、年齢、住所を言えること」と説明しました。 尾野さんは被告にこうも尋ねました。 (尾野さん) 「あなたは今、幸せですか」 (被告) 「幸せではありません」 (尾野さん) 「なぜですか」 (被告) 「面倒だからです。 …いまのは失礼だな。 不自由だからです」 尾野さんは諭すように「障害者の家族は悩みながら子育てをし、その中で小さな喜びを感じていました」と語りかけましたが、被告は「長年育てられた親のことを思うといたたまれません」とだけ答えました。 その後は裁判員や裁判官も加わりながら遺族や被害者の代理人の弁護士たちが、「意思疎通」などをめぐるやりとりを続けます。 青沼潔裁判長は施設で働き障害者と接する中で心が通じたことがなかったか尋ねました。 被告は当時を思い出したように少し笑いながらこう述べました。 (被告) 「ズボンの上にパンツを履いてしまった人がいて、『何やってんだか』と和やかだと思いました。 こちらの要求を理解したり笑ってくれたりすることもありました」 (裁判長) 「要求を理解し、笑う。 それが意思疎通できたということではないのですか」 (被告) 「それは人としての意思疎通がとれたとは思っていません」 被告は即座にそう返しましたが、印象的なやりとりでした。 犠牲となった43歳の男性「甲Sさん」の母親の弁護士はこう聞きました。 (甲Sさんの母親の弁護士) 「やまゆり園に勤務していたとき入所者と意思疎通をとっていたといいますが、ことば以外でどうしていたのですか」 (被告) 「例えばテレビを指さしているのでつけると喜びます」 (甲Sさんの母親の弁護士) 「それは意思疎通ではないのですか」 (被告) 「人間の意思疎通とは言えないと思います」 (甲Sさんの母親の弁護士) 「では外国などことばの通じないところであなたはどうやって意思を伝えるのですか」 (被告) 「身振り手振りです」 (甲Sさんの母親の弁護士) 「分かったんですよね、言語でなく身振り手振りで」 (被告) 「……はい」 また19歳で被告に殺害された美帆さんの母親の弁護士も聞いていきます。 (美帆さんの母親の弁護士) 「ロボットと人間の違いはどこにありますか」 (被告) 「人もロボットも大して変わらないと思います。 人間は高度なロボットだと思います」 (美帆さんの母親の弁護士) 「感情はロボットにあるんですか」 (被告) 「システムを作れば」 (美帆さんの母親の弁護士) 「それを作るのは人間でしょう。 名前や住所を言えなくても、心と感情があれば人間でしょう。 それは人の命そのものではないのですか」 また被告が殺害の理由を「障害者に金と時間がかかっている」と主張することについてもこう問いました。 (美帆さんの母親の弁護士) 「あなたは措置入院が解除されたあと生活保護を受けていますよね。 それだってお金がかかる。 では死なせるべきなんですか」 (被告) 「私は社会勉強する時間のためです」 (美帆さんの母親の弁護士) 「では生活保護を申請するときに『社会勉強をするため』と言いましたか」 (被告) 「うつ病のふりをして申請しました」 植松被告はいつになく汗をかき、突然スーツの上着を脱いで椅子にかけたり、ハンカチでしきりに汗をぬぐったりしていました。 これまで明かされてこなかった被告と両親との関わりもかいま見えました。 事件の5か月ほど前、障害者を安楽死させる考えを話した際の反応については。 (被告) 「両親には『人を殺したら悲しむ人がたくさんいる』と言って止められました。 『確かにな』とは思いました」 両親には大切に育てられたと言います。 (被告) 「いろいろ手をかけてくれて、塾に通わせてもらったり部活動をさせてもらったり、不自由なく生活させてもらいました。 事件のあと面会に来て、自分は謝罪して親が涙を見せて、申し訳ないことをしたなと思いました。 両親に対して照れくさいですが愛情はあります」 犠牲となった43歳の男性「甲Sさん」の母親は、裁判で読み上げられた調書で「生まれ変わってもまた私の子になってほしい」と述べていました。 「甲Sさん」の母親の弁護士は被告にこう聞きました。 (甲Sさんの母親の弁護士) 「あなたが殺されたら両親がどう思うか考えたことはありますか」 被告は10秒ほど沈黙したあとで「ありません」と答えました。 弁護士がさらに「いま想像したら?」と尋ねると、はっきりと「悲しむと思います」と答えました。 (甲Sさんの母親の弁護士) 「遺族の悲しみとあなたの両親の悲しみは同じですか」 (被告) 「人によっては同じだと思います」 市民から選ばれた裁判員も質問しました。 (男性の裁判員) 「事件を起こしたことで、当時考えていたような社会になったと思いますか」 少し考える被告。 (被告) 「重度障害者と共生する方向に社会が傾いたと思います」 「『やっぱりそれは無理だ』となればいいと思います」.

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WEB特集 動揺も見え 言いよどむ被告「あなたの大切な人は誰ですか」

植松 被告 両親

引用: 中学を卒業した植松聖被告は東京都八王子市内の私立高校に進学しましたが、入学間もなくして同級生を殴って神奈川県立津久井高等学校定時制へと転校しています。 植松被告がだんだん変わって行ったのはこの頃からだと言われており、私服では派手なスーツにサングラスというような高校生らしからぬ姿が確認されています。 高校卒業後の2008年4月には、帝京大学文学部教育学科初等教育学専攻(現:教育学部初等教育学科)へ入学し、小学校教諭を目指して勉強や学童保育での指導員補助のアルバイトに励んでいたそうです。 植松被告が大きく変わってしまったのは大学在3年生 — 4年生頃とされており、このころ植松被告は「強い人間」に憧れ、刺青を入れたり、ナイトクラブに通い始めたりしたそうです。 交友関係もガラッとかわり、2010年ごろからは大麻などを吸引し始めています。 大学4年生から、見た目はおろか内面も変わっていき、大麻や薬物を常習するようになりますが、あくまで大麻などの使用は、その場を楽しむためのツールとしての使用であり、悪いことをしているという意識はなかったと見られます。 教師への夢も諦めていなかったようで、その証拠に2011年5月末からの約1ヶ月間 、母校である相模原市立千木良小学校で教員免許を取得するための教育実習を行っています。 刺青が入っていたことは近所でも噂になりましたが、子供の面倒見もよく、根っからの子供好きであったので、見た目は派手だが悪さをするような人間にはあまり見えなかったという意見も多いです。 そして2012年3月に帝京大学を卒業し、教員免許の試験には受かったものの、教員採用試験には受からなかったようで、その原因としては刺青の影響が大きいのではとされています。 植松聖の大学卒業後 引用: 大学を卒業した植松被告は、さらに交友関係が裏社会に及び、犯罪を繰り返す半グレ集団や右翼関係者とも関係を持つようになっていったと言われています。 またこの頃、植松被告が背中に般若の刺青を掘ったことを母親が知り、母親は怒り悲しみ泣き叫んだそうで、その母親の声が近所に漏れていたそうです。 そしてその騒動から間も無く、植松被告の両親は植松被告をひとり自宅に残し、都内の八王子にあるマンションに引越しています。 近所に住む住民の間では、植松聖被告の大麻や薬物使用、荒い性格などに危険を感じた両親は、植松被告と別居する選択肢をとったと噂されていました。 両親が出て行った後、植松被告は一人暮らしを始めましたが、あまりトラブルもなく一人暮らしを続けていました。 自宅の庭の草が伸び放題になり、隣の住宅の庭にまで雑草が伸びてしまったことで近隣住民から軽い注意を受けますが、自ら友人らを呼んで草むしりをするなど、問題のない社会性はあった模様です。 しかし植松聖被告の自宅は、男友達のたまり場にもなっていたようで、派手な友人たちが常に出入りしていたそうです。 大学卒業後の植松聖被告の職業、自動販売機の設置業者、運送会社、デリヘルの運転手など職を転々としていて定まっていませんでしたが、2012年12月に自宅から500メートルほどの距離にある障害者福祉施設に就職します。 相模原障害者施設殺傷事件の概要まとめ 引用: 植松被告は事件の前日、相模原市内で知人男性2人と会っており、暴力団関係者と親交があるとされる友人のうち1 人から、『お前は暴力団組員に追われている』と告げられ、施設襲撃計画の遂行に支障をきたすのではないかと危惧した。 元々、襲撃の日は2016年10月1日に予定されていましたが、暴力団に命を狙われるのであればなるべく早くに決行した方が良いと判断し、友人と会った日から間も無く翌日の2016年7月26日未明に、植松被告は障害者施設へと侵入することになります。 事件の前日、友人と別れた植松被告は自宅から包丁などを持ち出し、東京都内のホームセンターでハンマーや結束バンドなどを購入して犯行の準備をし、一度車で都内へ向かっています。 都内では、好意を寄せていたとする女性と食事をしていましたが、その際に障害者襲撃計画を話していたそうです。 その後、植松被告は翌日26日午前1時頃、滞在していたホテルを出てそのまま襲撃予定の施設へ向かいます。 同日午前2時頃、植松被告は、警備員のいる正門付近の警備員室を避け、裏口から施設の敷地内に侵入しました。 用意していたハンマーで入居者東居住棟1階の窓ガラスを割って施設内に侵入したとみられます。 そして通用口の門扉を開けて敷地内に侵入すると、その場にいた職員らを結束バンドを使って拘束し、「障害者を殺しに来た。 邪魔をするな」などと脅して外部への連絡手段を絶ちました。 その際、直接刃物で切りつけられた職員はいなかったそうです。 ナイフで施設内の患者を.. 引用: 侵入に成功した植松被告は、職員から奪った鍵で居住区画を仕切る扉を解錠しながら移動し、入居者に声をかけつつ返事のない入居者らを狙って次々と刺していったそうです。 意思疎通のできない障害者を多数殺害する目的で襲撃しているので、介護のいる障害者を主に狙っていたとされており、刺し傷の深さから見ても、植松被告の犯行に突発性はなく、明確な殺意があったと判断されています。 凶器は、自宅から持ち込んだ柳刃包丁5本を使い分けて犯行に及んだようです。 施設侵入からしばらくして、西棟2階を担当していた職員が異変を察知して部屋に閉じこもったことで、警察に通報されることを恐れた植松被告は、襲撃を中断し、施設から逃走しました。 侵入からおよそ50分間の出来事です。 犯行後は警察に自首 引用: 施設襲撃に成功した植松被告は、同日午前2時50分に「世界が平和になりますように。 beautiful Japan!!!!!! 」という内容のコメントを自撮り写真を添付してSNSに投稿しています。 予定では2つの施設を襲撃するつもりでしたが、1度の襲撃で多くの障害者を殺害できたと実感したこともあり、同日午前3時過ぎに現場所近くの津久井警察署へ出頭し、「私がやりました」と自首しました。 出頭する途中に植松被告は、コンビニのトイレで手や腕に付着した血を洗っていますが、犯行時の衣類と同じものを着用しており、血も付いていたと言われています。 自首した植松被告は、殺人未遂 ・建造物侵入の各容疑で緊急逮捕されました。 相模原障害者施設殺傷事件の被害者は? — 2017年 7月月25日午後7時28分PDT 津久井やまゆり園は、神奈川県が1964年から設置し、社会福祉法人「かながわ共同会」が運営している知的障害者施設です。 敷地の面積は3万890平方メートルの敷地内に2階建ての居住棟や管理棟、グラウンドや作業スペースなどがあり、7月1日時点で職員数は164人、同日時点で入所していた19歳から75歳の長期入所者149人(男性92人、女性57人)全員が障害支援区分6段階のうち重い方の4から6に該当する重度の知的障害者(食事や入浴、排泄などの介助が必要)でした。 園では、夜間も職員を1棟あたり少なくとも2人配置し、園の正門・居住棟の入り口は、それぞれ施錠されている上、建物内に入ったとしても、各ホームに自由に行き来することはできず、すべての鍵を開けられるマスターキーを持っている職員もいないそうです。 また、園には警備員が常駐していますが、午後9時半以降は正門近くの管理棟で仮眠してもよいことになっており、当直の警備員は侵入に気づかなかったとされています。 やまゆり園は、植松容疑者の自宅から500mしか離れていない場所に位置し、植松容疑者が2013年4月1日から2016年2月まで、常勤職員として勤務していた施設でもあります。 相模原障害者施設殺傷事件の被害状況 引用: 被害状況は、死亡者19名・負傷者26名です。 死亡者は、いずれも施設の入所者男性9名(当時:41歳 — 67歳)、女性10名(当時19歳 — 70歳)です。 死因は、腹部を刺されたことによる腹腔内出血や、背中から両肺を刺されたことによる血気胸、その他はいずれも失血死とされており、ほとんどの遺体は発見時に居室のベッドの上で見つかっており、寝ていたところを植松布告に刺されたとみられます。 また、負傷者は施設職員男女各1名を含む男性21名、女性5名で、そのうち13名は重傷を負っています。 入所者24人の負傷内容は全治約9日〜約6ヶ月間に及ぶ胸への切り傷、両手の甲への打撲などとされています。 死亡した被害者の実名公表は無し? 引用: 植松聖被告は障害者に対して、「国への生産性」を問題視しています。 中学時代に障害を持つ同級生と関わったことや、施設で働いた経験などを踏まえ、「障害があることで家族や周囲も不幸だと思った」「事件を起こしたのは世の中の不幸を減らすため」「障害者の安楽死を国が認めてくれないので、自分がやるしかないと思った」などと供述しています。 障害者施設を襲撃して重度の障害者の命を断つことが正義だとしており、犯行の動機はあくまで世界の平和のためだとしています。 実は植松聖被告は、事件を起こす前の2016年2月中旬ごろに衆議院議長公邸を訪れ、衆議院議長の大島理森に宛てた『犯行予告』となる手紙を職員に手渡しています。 手紙の内容は以下の通りです。 1枚目 一部抜粋 この手紙を手にとって頂き本当にありがとうございます。 私は障害者総勢470名を抹殺することができます。 常軌を逸する発言であることは重々理解しております。 しかし、保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界の為と思い居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。 理由は世界経済の活性化、本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐことができるかもしれないと考えたからです。 障害者は人間としてではなく、動物として生活を過しております。 車イスに一生縛られている気の毒な利用者も多く存在し、保護者が絶縁状態にあることも珍しくありません。 私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。 重複障害者に対する命のあり方は未だに答えが見つかっていない所だと考えました。 障害者は不幸を作ることしかできません。 戦争で未来ある人間が殺されるのはとても悲しく、多くの憎しみを生みますが、障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることができます。 今こそ革命を行い、全人類の為に必要不可欠である辛い決断をする時だと考えます。 世界を担う大島理森様のお力で世界をより良い方向に進めて頂けないでしょうか。 是非、安倍晋三様のお耳に伝えて頂ければと思います。 私が人類の為にできることを真剣に考えた答えでございます。 引用: 2枚目 私は大量殺人をしたいという狂気に満ちた発想で今回の作戦を、提案を上げる訳ではありません。 全人類が心の隅に隠した想いを声に出し、実行する決意を持って行動しました。 今までの人生設計では、大学で取得した小学校教諭免許と現在勤務している障害者施設での経験を生かし、特別支援学校の教員を目指していました。 本当は後2つお願いがございます。 今回の話とは別件ですが、耳を傾けて頂ければ幸いです。 何卒宜しくお願い致します。 医療大麻の導入 精神薬を服用する人は確実に頭がマイナス思考になり、人生に絶望しております。 心を壊す毒に頼らずに、地球の奇跡が生んだ大麻の力は必要不可欠だと考えます。 何卒宜しくお願い致します。 日本軍の設立。 刺青を認め、簡単な筆記試験にする。 出過ぎた発言をしてしまし、本当に申し訳ありません。 今回の革命で日本国が生まれ変わればと考えております。 引用: 3枚目 作戦内容 職員の少ない夜勤に決行致します。 重複障害者が多く在籍している2つの園【津久井やまゆり、他】を標的とします。 見守り職員は結束バンドで身動き、外部との連絡をとれなくします。 職員は絶対に傷つけず、速やかに作戦を実行します。 2つの園260名を抹殺した後は自首します。 作戦を実行するに私からはいくつかのご要望がございます。 逮捕後の監禁は最長で2年までとし、その後は自由な人生を送らせて下さい。 心神喪失による無罪。 新しい名前(伊黒崇)、本籍、運転免許証等の生活に必要な書類、美容整形による一般社会への擬態。 金銭的支援5億円。 これらを確約して頂ければと考えております。 ご決断頂ければ、いつでも作戦を実行致します。 日本国と世界平和の為に何卒よろしくお願い致します。 想像を絶する激務の中大変恐縮ではございますが、安倍晋三様にご相談頂けることを切に願っております。 植松聖 以上の内容を綴った手紙を、2月14日午後3時25分ごろに議長公邸を訪れ、書簡を渡したいと申し出ました。 しかしもちろん受け入れられずに追い返されましたが、植松被告が土下座をするなどしたため、警備の警察官が職務質問するとそのまま立ち去ったそうです。 その後、植松被告は翌日午前10時20分ごろ再び議長公邸を訪れ、正門前に座り込むなどしたため、衆議院側が協議をした結果、午後0時半ごろに手紙を受け取ってもらうことに成功し、ようやくその場を立ち去った。 しかし手紙には犯罪を予告するような内容があり、衆議院の事務局が警察に通報しています。 この手紙について、警視庁は同15日中に津久井署に情報を提供していますが、適切な対応も虚しく、事件が起こってしまいました。 相模原障害者施設殺傷事件、犯人植松聖の判決 引用: 植松被告は障害者に対して、「国への生産性」を問題視しています。 「重度の障害者たちを生かすために莫大な費用がかかっている」とし、障害者への支援を「税金の無駄」だと語っています。 そして、「重度・重複障害者を育てることは莫大なお金・時間を失うことにつながり、命を無条件で救うことが人の幸せを増やすとは考えられない」と障害者殺害を正当化する考えを示しているそうです。 植松被告は、障害を持った方たちのことを『心失者』とし、「心失者を擁護しては誰も幸せにはならない」と語っています。 また、意思疎通がとれない者を安楽死させるという植松被告の意見に対して否定をする世間に対しても、(否定をする人たちは)「常識を鵜呑みにし、自分で考えることのできないバカ」か「周囲の意見に同調するブス」だとし、「たくさんある問題を何も解決せずに否定をすることが博識だと勘違いしているのではないか」と訴えています。 そして、「年金・生活保護受給者などの自立できないヒマ人ばかりが声を挙げる日本で、私の考えに賛同できるはずがない」「世間から離れ、個人に問いかけた時に、心失者を擁護するわけがない」とも綴っており、「彼らを安楽死させることは仕方の無いこと」と主張しています。 植松聖の獄中生活 引用: 【8月2日付:植松被告の獄中からの手紙(一部要約)】 同封してもらいました「ドキュメント死刑囚」を拝読し、宮﨑勤に関して執行までに12年、1食300円として食費だけで12年間で432万円の血税が奪われている。 意思疎通がとれない者を認めることが、(解離性同一性障害と鑑定され、複数の幼女を殺害する事件を起こした宮崎被告のような)胸クソの悪い化け者を世に生み出す原因の一つだと考えております。 ナチスのT4作戦は、第二次大戦前のひどい貧困に苦しんでいたドイツを救うために決行された作戦において、貧富の差がユダヤ人を抹消することにつながったが、心失者(重度の障害者)でない普通の人間をも殺すナチスの考えと、自分の考えは違う。 現在、赤ん坊も含める全ての日本人に一人800万円の借金があり、戦争で人間が殺し合う前にまず心失者を抹殺するべきだ。 とはいえ、1千兆円の借金は返済可能な金額ではないので、戦争をすることでしか帳消しにできないのかもしれない。 ゴミ屋敷に暮らす者は周囲への迷惑を考えずにゴミを宝と主張する。 客観的思考を破棄することで自身を正当化させている。 遺族や障害者協議会など関係者に対して「現実逃避障害」と診断させていただきます。 死と向き合い、魂を燃やされている篠田先生(創・編集長)、並びに創出版の皆様に心の底から脱帽しました。 この度は篠田先生に折り入って御願いを申し上げたいのですが『創』10月号をセブンイレブン様、及び各コンビニのレジ横に置いて頂くことはできませんか。 読書ばなれが進む日本で本を販売されることはとても困難でしょうが、形だけの選挙よりも実りある答えがだせるのではないかと考えています。 僭越ではありますが、改めまして龍のイラストを描かせていただいたので、再び篠田先生に鑑査して貰えましたらとても嬉しく思います。 パリ人肉事件がポケモンXYに登場? 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